2007年 10月 1日 (月) 

       

■  〈わが歳時記〉高橋爾郎 10月

 大相撲秋場所が終わった。郷土力士栃乃花関の取り組みには毎日心臓がドキドキした。中盤までは好調、後半は間一髪。もう少しのところで勝てる勝負が何番かあった。まったく勝負の世界は厳しい。最終の千秋楽、旭南海を押し出して8勝を挙げ3場所ぶりで勝ち越しを決めた。

  現在、横綱、三役をふくめて幕内は42人、十両は28人。今協会には800人ぐらいいるらしい。その中から関取になることは大変なものなのである。

  8月の久しぶりの盛岡準場所は楽しかった。最も安い自由席を買って力士たちの出入口の席に腰をかける。力士のたくましい身体を間近に見るのが何よりも楽しい。

  栃乃花関が出てきた。身体が張っている。関取に「がんばってください」と声を掛ける。「ありがとうございます。がんばります」と、きっとした顔で応えてくれた。

  たくさんのファンが入れ替わり立ち替わりサインを求めに来る。関取はいちいち、やさしい顔で素早く書いていた。午後になると取り組みを待つ力士たちが続々と出てきた。

  ぼくの隣の空いている席に春日王や栃乃洋がどっかりと腰をおろした。びっくりするぐらい大きい。足の大きさに驚く。栃乃洋関に「あすはどこですか」とたずねると「青森県の鯵ケ沢です。毎日移動です」と答えてくれた。多くの関取の立派な身体を間近に見て大満足の盛岡準場所だった。

    ※

  さて10月11日は自由律の俳人種田山頭火(さんとうか)忌である。明治15年、山口県生まれ。早稲田大学を中退し、荻原井泉水(せいせんすい)門に入った。俳句一筋、生涯仕事を持たず。ついには妻子を捨てて出家し、禅僧となって行乞をしながら全国を放ろうした。生来、酒と旅を愛し全く着の身着のままの無一物の生活を続けた。

  うしろ姿のしぐれてゆくか
鉄鉢の中へも霰
こほろぎよあすの米だけはある
泊めてくれない折からの月が行手に
木の葉ふるふる野糞する
なんとあたたかなしらみをとる
芋粥のあつさうまさも秋となった

  山頭火は岩手にも来て「草のしげるや礎石ところどころのたまり水・毛越寺」「ここまでを来し水飲んで去る・平泉」などの句を残している。昭和15年、松山の一草庵で頓死。享年59歳だった。

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  わが家では、ことしも庭の2、3個所に曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が一斉に咲き始めた。いつの間にか細長い茎がすっと現われたかと思う間に2、3日で真っ赤な花を開く。何十本もが咲くので真紅の群落だ。1本の茎に6、7個の輪状の花が組み立てられて八方に細長い蕊を跳ね上げている。激しい花の形である。

  曼珠沙華とは赤い花を表わす梵語に由来するそうだ。ほかにも彼岸花、天蓋花、狐花、三昧花ともいわれるが、死人花、幽霊花、捨子花はかわいそうである。やや冷える彼岸のころに血のような色に咲くゆえんだろうか。

  しかし、南の方の田の畦(あぜ)や土手一面に咲く風景は、思わず声をあげたくなる秋の風物詩ではある。

  (歌誌編集者)

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