2007年 10月 2日 (火) 

       

■  〈続・岩手の先人とカナダ〉8 菊池孝育 杉村濬8

 「向後ノ移住民ハ左ノ件々ヲ心得ル事必要ト思惟セラレタリ」として四項目を挙げている。

  一、「彼地ニ永住ノ覚悟ヲ有スルコト」

  当時の日本人移民の特徴は、「出稼ぎ型移民」が多かったことである。なりふり構わず稼げるだけ稼ぎ、ある程度金が貯(た)まるとさっさと帰国するか、もっと稼げる場所を求めて転々とした。

  定住の上地域に溶け込み、他民族と協調して、移民国カナダの発展に尽くすというような考えはさらさら無かった。彼等の脳裏に浮かぶのは、故郷の寒村で暮らす貧しい親類縁者の姿であった。彼等はせっせと故国に送金した。移民を送り出した村落が潤ったのは多額の送金のためであった。出稼ぎは日本では美徳と考えられたが、現地のカナダ人にとっては、「出稼ぎ」は「略奪plunder」と同義語であった。

  「支那人」が嫌忌され、日本人まで排斥されるようになるのは「出稼ぎ型移民」の持つ故国を重視して現地を軽視する風潮にあった。従って「出稼ぎ型移民」や「水夫の風」の移民は各所でカナダ人と軋轢(あつれき)を引き起こした。一部の日本人の「旅の恥は掻(か)き捨て」、「後は野となれ山となれ」といったような無責任な生活態度も、排斥を増長させる要因となったのである。

  杉村が「永住ノ覚悟」を要求したのは右記のような背景があったからである。杉村は、カナダに移民する以上はカナダの発展に尽くす移民たれ、と主張したのである。

  二、「彼国人ノ風俗及ヒ習慣ニ従ハンコトヲ勉ムルコト」

  日本人の中には、浴衣の後ろを捲(まく)り上げ、下駄(草履)履きで表を闊歩(かっぽ)する男性もいた。道路脇での立ち小便、手鼻をかみ捨てるなど日常茶飯事であった。女性も、公衆の面前で平気で子供におっぱいを含ませたり、腰巻き一つで買い物に出たりした。

  こういったことは日本の農村ではごく当たり前の風景であったが、カナダでは物議を醸したのである。移民は、故国の風俗習慣に固執せず現地に適応しなければならない。そのためには、現地の風俗習慣になじみ、宗教や言語を含むカナダの文物の理解に励まなければならない。杉村の持論であった。

  三、「基督教ニ歸依シテ教會堂ニ出入シ日曜并宗教上ノ規則ヲ守ルコト」

  この項目については、杉村はあたかもキリスト教を強要しているかの如くとらえられがちである。杉村はキリスト者ではなかった。(杉村禮司氏によると、杉村家の宗教は代々神道とのことである)

  杉村の真意は、前にも述べたように、単に「郷に入っては郷に従え」を実践せよ、ということにあったと考えられる。

  ヨーロッパ系住民は、宗教(キリスト教)を信じない人間を同胞とは見なさなかった。15世紀から17世紀にわたるヨーロッパ系移民による、南北アメリカ大陸の先住民に対する残虐行為とキリスト教の強制を見れば一目瞭然である。カナダにおいて東洋人が人間扱いされるためには、キリスト教に帰依して、白人に信頼されることが肝要であると杉村は考えたのである。

  日本人や「支那人」労働者が嫌われた一因に、キリスト教の安息日を守らず、日曜日も平然と仕事に従事したことにあった。盆と正月を除いて年中働きずくめに働くことが、日本人の美風であった。借金を負う日本人移民はせっせと故国に送金しなければならない。日曜日だからといって休む訳にはいかない事情があった。

  杉村はそのことを知りながら、カナダに受け入れられるためには「日曜并(ならびに)宗教上ノ規則ヲ守ルコト」と書かなければならなかった。

  四、「収入ニ連レテ相當ニ生活ノ度ヲ高メ彼等ニ賤視セラレザル様ニ勉ムルコト」

   一言にして言えば、なりふり構わず働いて送金する(貯金する)事ばかり考えるな、ということである。今風に言えば文化的最低限の生活レベルを守れ、と言っているのである。続けて、「一意ニ貯金セントスル目的ニテ節倹度ニ過ギ支那人ノ如ク粗衣粗食スルトキハ彼国人ノ爲メニ擯斥セラル可シ」とも書いて、日本人排斥への憂慮を表している。

  以上の四項目が守られなければ、「彼国人ノ親愛ヲ受クルコト能ハザル可シ」と述べ、移民を厳選すること、移民団に宣教師を随行させること等を提言した。そして「最初ヨリ不道徳ナル營業ノ目的ニテ渡航ヲ企ツル者ハ之ヲ嚴禁シ勉メテ其弊端ヲ防カザル可カラザルコトト確信セリ」と結んでいる。 

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