わたくしはまた空気の中を泳いで
このもとの白いねどこへ漂流する
月のまはりの黄の円光がうすれて行く
雲がそいつを耗らすのだ
いま鉛いろに錆びて
月さへ遂に消えて行く
…真珠が曇り蛋白石が死ぬやうに…
寒さとねむさ
もう月はたゞの砕けた貝ぼたんだ
さあ ねむらうねむらう
…めさめることもあらうし
そのまゝ死ぬこともあらう…
(「河原坊」(山脚の黎明)、『春と修羅 第二集』)
「河原坊」は早池峰山の麓で登山口の一つ。
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南洋真珠 |
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この作品の最後も「こゝは河原の坊だけれども/曾つてはこゝに棲んでゐた坊さんは/真言か天台かわからない/とにかく昔は谷がも少しこっちへ寄って/あゝいふ崖もあったのだらう/鳥がしきるに啼いてゐる/もうのぼろう」となっていて話者も登り始めるのである。
第一回の養殖場全景ともいうべき写真で示したように、「ラブハンバジョ(真珠)養殖場」の周囲にも山はあるが、どれもそれほど高いものではない。
ところで「真珠は古来、貝類を食べる民族にみいだされ、古くより宝玉として広く用いられたものと思われる。」(『日本大百科全書』)には妙に納得した。食した真珠貝が美味だったからである。ホタテ貝を少し淡泊にした味だと言えばいいのだが、これが潮騒のテラスに良く合う。
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真珠の養殖場で作業をしている人たち |
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つい、真珠貝といってしまったが、インドネシアでの真珠養殖は、いわゆる「南洋真珠」であるから、日本の真珠養殖貝で良く知られている海水のアコヤガイや淡水のイケチョウガイ(琵琶湖)ではなく、シロチョウガイである。
生後2〜3年のものに、挿核手術を施し、養生用の籠(かご)で、海藻などの付着生物を除去しながら育てた後、浜上げと呼ばれる収穫を行うのである。
シロチョウガイ真珠養殖は、東南アジア、オーストラリアに日本人によって行われているが、真珠の価値は、「形態、大きさ、真珠層の厚さ(巻き)、光沢、色彩」などによって決まるという。
他の国には出ることのなかった賢治であるが、この真珠養殖を見たら何というであろうなどと思いながら暮れて行く海を眺めたのである。
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