2007年 10月 7日 (日) 

       

■ 縄文人「死者の空間」 盛岡市川目A遺跡から配石遺構27基に多数の土偶

     
  川目A遺跡から出土した土偶。多くは縄文時代中期で、右側の下段は晩期とみられる  
  川目A遺跡から出土した土偶。多くは縄文時代中期で、右側の下段は晩期とみられる  
  県文化振興事業団埋蔵文化財センターが盛岡市川目で発掘調査している川目A遺跡の現地説明会が6日、行われた。縄文時代中期末から晩期前葉にかけての遺跡で、大量に出土した石の中には意図的に並べた配石遺構が27基検出された。住居領域ではなく、埋葬地としての死者の空間といえる。中期を中心に不完全だが多数の土偶が検出された。

 川目A遺跡は国道106号を県道上米内湯沢線との交差点から川井村方面に向かってすぐ、川目トンネル手前の簗川の左岸側に位置する。川目Bや川目Cなどの遺跡が近接して存在する。古くから遺跡として知られ、記録では1941年に最初の調査があり、戦後は53、55、56年に調査の後、2000年に盛岡市教委が調査。配石遺構が確認されている。

  今回の調査は川沿いだった盛岡市教委の調査範囲よりも南東方面で、すぐ丘陵地が控える河岸段丘にある一帯。市教委調査では配石遺構が32基検出されている。

  今回見つかったのは、配石遺構のほか埋設土器7基、土坑2基、焼土10基で、竪穴住居跡は1棟だけだった。住居の時代は約4千年前の縄文時代後期初頭と推定される。

  配石遺構は縄文時代晩期(約2200年前)と考えられ、川原石を並べている。市内でも配石遺構は見つかっているが、規模としては大きいという。確認していないが、墓と考えられ、下に死者が埋葬された可能性がある。

  配石遺跡からではないが土坑から人骨と思われる頭骨と上腕骨か大たい骨、不明部位の骨が出てきた。埋設土器は子供の墓と考えられており、土器の内部には石がたまっていたものがあり、最初は配石されていたと考えられる。

  出土品は土器、石器、剥片(はくへん)、土偶、耳飾り、スタンプ形土製品、石剣、石棒などが多く見つかっている。

  遺構の状況から、調査領域は縄文時代後期前葉まで住居跡があり、後期前葉から晩期にかけては墓地として利用されたことが分かった。

  調査は新しい時代に掘削されたとみられる水路を挟んで第6次調査が始まっている。第5次区より低い形状となっており、今のところ配石遺構は検出されていない。

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