はらからよいざもろともにかゞやき
の大曼陀羅を須弥に刻まん
〔現代語訳〕同胞のみなさん。さあ、一緒に輝く大曼陀羅(まんだら)を須弥山(須弥壇)に刻もうではありませんか。
〔評釈〕「大正八年八月以降」〔歌稿〔A〕〕四十六首中の四十二首目の「758歌」で、「大曼陀羅」にかかわる三首の三首めでもある。「はらから」は「腹」+「族」で、元来は、文字通り「同じ母の〈腹〉」から生まれた兄弟姉妹を指し、「同胞」の意となる。抽出歌においては、主として宗教的同志を想定すれば良いであろう。「須弥」は昨日言及した「須弥山」とするのが一般的であろうが、「須弥山」にかたどった仏像安置のための壇である「須弥壇」をイメージすることも可能であろう。賢治の日蓮宗への傾倒時期の特定は伝記的難問であるが〔小倉豊文「二つのブラックボックス」(一九八二・六)〕、宗教的抽象概念の短歌表現への定着も短歌的難題であることを、重ねて繰り返しておこう。
(岩手大学特任教授) |