2007年 10月 16日 (火) 

       

■  〈続・岩手の先人とカナダ〉9 菊池孝育 杉村濬

 次に杉村は「西部加奈多ニ於ケル移住見込ノ地方并其事業」の項を起こし、「日本人ハ能ク北西各テルトリーノ気候ニ堪ユ可シト思ハザレバ當分ハ英閣州ニ向ケ移住ヲ謀ラザル可カラズ」との見解を示し、BC州への移住こそ日本人には最適、としている。さらに「同州内ニ於テ日本人ノ爲シ能フ可キ事業并移住ス可キ地方ハ左ノ如シ」として次の職業および地域を挙げている。

  一、「鋸木場」、バンクーバーおよびビクトリア近郊に凡そ三十カ所あり、数百名の労働者が働いている。そのうち三、四十名の日本人が数カ所に雇用されている。(注、鋸木場はsawmillの直訳と考えられる)

  二、「農業及牧畜」、右両市の近郊に多少の雇用が見込まれる。

  当時既にバンクーバーに近いバーナビー、ラングレーの肥沃な土地はヨーロッパ系移民に占められており、日本人は農園の雑役夫として雇用された。ビクトリア近郊も同じであった。

  三、「鑛業」、坑夫の数は不詳であるが、ナナイモおよびウイリントンの炭坑には千数百名が「雇用されている」と聞く。日本人は「トンボ島」の炭坑に十数名雇用されているが、彼等は「二三年前ニ三國某ノ周旋ニテ長崎ニ於テ雇入レ同縣廰ノ認可ヲ受ケタルモノナリト聞ケリ」

  「三國某」は中国人を指すものと考えられる。そのころ既に中国では周旋業なるものが確立していて、大量の鉄道建設労務者や炭坑夫等の肉体労働者(苦力)をカナダに送り込んでいた。

  長崎県口之津は、江戸時代末期から海外に出稼ぎ者を送り出していた。中国人周旋業者は口之津近辺で人を集め、上海経由で北米大陸に送り込んだと言われる。

  「トンボ島」の日本人は苦力並の待遇で酷使されていた。杉村が、周旋会社設立は喫緊の課題であると報告した理由はここにあると推測される。

  四、「漁業」、フレイザー川での鮭漁は州全体の六、七割を占め漁師の過半は日本人である。またスキーナ川も有望な漁場で、十数名の日本人が働いている。「鑵鮭所二十餘ヶ所雇人ハ大抵支那人ト土人ナリ日本人ハ場内ノ働キハ水上ノ働キニ比スレバ賃銀少シトテ之ヲ爲スヲ好マス」

  当時の日本人漁師は堅実な賃働きを嫌い、漁での一攫千金を好んだ。要するに「水夫ノ風」に染まっていたのである。

  「鑵鮭所」は今日の缶詰工場である。Salmon Cannery を和訳したものであろう。

  フレイザー川での鮭漁には、和歌山県人工野義兵衛を先駆とする、同県三尾出身者が、バンクーバー近郊のスティブストンに根拠を置いて従事し始めていた。後に吉田慎也をリーダーとする岩手県人も加わり、今日のスティブストンを築いたのである。

  五、「道路開鑿及森林切拂等ノ工事」

  「同工事ニハ常ニ人夫ノ不足ヲ感セリ而シテ是迄日本人ノ之ニ雇ハレタルモノナシ」

  カナディアン・ロッキー以西のBC州は峻険(しゅんけん)な山岳地帯に覆われている。工事は厳しい肉体労働であった。

  六、「此地ノ開拓」

  バンクーバーから200ないしは300マイル東方に「ヲカーナガン」、「クーテネー」と呼ばれる地方がある。前者は土地は広大で農牧に適している。後者は山岳地帯にあって鉱産に富んでいる。両地方とも最近「頻リニ開拓ニ盡力中ナリ此等ノ地方ニハ無數ノ人夫ヲ要スルコトト推測セラレタリ但シ日本人ニハ未タ一人ノ之ニ赴キシモノナシ」

  「ヲカーナガン」はOkanagan Valley である。オカナガン湖を中心とする気候温暖なこの地方は果樹園芸作物の栽培が盛んで「カナダのフルーツバスケット」と呼ばれている。杉村には確かに先見の明があった。明治後期から多数の日本人が入植した。藤沢町大籠出身の千葉孟、猛親子はこの地で成功した。

  「クーテネー」はKootenay地方である。カナディアンロッキーに近い。かつては有数の鉱山地帯であったが、現在はクートニー・ロッキー地区と呼ばれ、4つの国立公園と50の州立公園が密集する風光明美な地域である。

  杉村の推奨にもかかわらず、クートニーには日本人はあまり入植しなかった。しかし第2次世界大戦時、この地域のニューデンバーやクリスティナ・レイク等に、多数の日系人が強制移動させられたのである。さすがの杉村もこのことまでは予見できなかった。

  強制移動させられた日系人の子孫のうち、かなりの人たちが、今でもひっそりとこの地で暮らしている。歴史の皮肉と言うべきか。

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