2007年 10月 17日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉42 伊藤幸子 ちろり

世のなかはさてもせはしき酒の燗ちろりのはかま着たり脱いだり
  四方赤良

 
  去年のNHK朝の連続ドラマ「芋たこなんきん」では、よく夫婦で飲みながら語るシーンがあった。その卓上に登場する酒器、ちろり。これは酒の燗(かん)をするのに用いる容器で、銅または真鍮(しんちゅう)製の下すぼまりの筒型、注ぎ口や取っ手も付いているもの。また、ガラス製のもあり。私は昨年オープンしたばかりの東京ミッドタウンのサントリー美術館で「藍(あい)色ちろり」という逸品を見た。江戸時代長崎の産、五弁の花型をした胴部のふくらみといい、すっとのびた注ぎ口、宝珠形のふたのつまみ、思わず手のひらにのせたい思いにかられた。びいどろだから冷や酒用に用いられたのだろう。

  さて歌の方は、四方赤良(よものあから)、本名大田南畝(なんぼ)。寛政の改革を批判した才人として知られ、役人としてよりも多くの狂歌を残し名声を高めた。いつの時代にも世直しや批判を叫ぶ者、痛烈な風刺を浴びせる者が出現する。

  この歌には「本歌」がある。中世の歌謡を集めて、室町時代後期に成った「閑吟集」は収録歌謡三百十一篇の、編者も著者も今もって不明という一大詩歌謡集である。その第49番に「世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり」の句が出ている。総じて「よのなか(人生)はちろり(ちらっと、またたくま)にすぎてしまう」と解されてきた。このことばの畳みこみが素朴で明るく、おそらく節をつけて歌っていたであろういにしえ人たちの声が聞こえてくるようだ。

  信長も秀吉も生まれる前から読まれ、口ずさまれてきた歌謡集。生まれ変わりを生きついで伝わっていく歌詞にはおのずから最も身近な生活の道具が生きてくる。「ちろりのはかま」にかけて、もっと深く慕わしい世の中がある。

  古く「世の中」とは男女の仲を指したもの。そう弁(わきま)えて味わえば、相思相愛の仲といえども、酒の燗がつくまでの寸時にすぎない。だからこそ、二重底三重底の「ちろり」の意味が思われることである。


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