二見
ありあけの〔月はのこれど〕松むら
のそよぎ爽かに日は出でんとす。
〔現代語訳〕(まだ空に月が残っている)有明の月は残っていますが、松の群がりを吹くそよそよとした音と共に、朝日は出ようとしています。
〔評釈〕「大正十四年四月」〔「歌稿〔B〕〕五十二首の十二首目の「774歌」で「二見」と題された一首。広義の「伊勢十二首」の最終歌となる。第二句の「月はのこれど」に〔〕が付いているのは、この部分が抹消されているからである。「二見」は、改めていう必要もないほどの三重県の名所。二見ヶ浦はあまりにも有名。賢治は高等農林の修学旅行時にも訪れ、「盛岡高等農林学校農学科第二学年修学旅行記」〔『校友会々報』第三一号〕でもその日〔一九一六・三・二八〕を分担している。「旧街道を見物して後二見ヶ浦に向ひ直ちに立石に行けば折りから名物の伊勢の夕凪にて一波立たず油を流したるが如き海上はるかに知多の半島はまぼろしの如くで其の風景の絶佳云はん方なしだ。」がその言。
(岩手大学特任教授) |