小塩節氏は著書「ブレンナー峠を越えて」の中で「北側のドイツ・オーストリアの空には灰色の厚い雲が渦巻き、インスブルックの渓谷は見えない。ところが峠の南の空は雲が切れ、青い大空に陽光が燦(さん)然と輝いている。どうしてこんなことがありうるのだろう」と述べている。
何度もこの峠を越えた小塩氏だから言えるのだろうが、わたしには極端な違いは感じられなかった。ドイツ・オーストリア側の空も美しく輝いていた。この峠についてまったく意識していなかったせいか、8月4日という真夏の晴れた日だったせいか。
イタリア初日の宿泊地は北部のヴェローナであった。ヴェローナは落ち着いた小さな町である。シェークスピアの「ロミオとジュリエット」のモデルにもなっているから、それらしい雰囲気を持った家などを見学したのだろうが記憶は定かではない。
確実に覚えているのは「アレーナ」(円形闘技場)に行ったことである。ローマにも「コロッセオ」や「マルケルス劇場」などがあるそうだが、外側は2段で馬蹄形の石の門を多く連ねて大きな円形にしたものである。
ローマ時代ここの内部の中心で猛獣と剣闘士、または剣闘士同士を闘わせたのである。ヴェローナのアレーナは1世紀につくられたものでほぼ完全な形で残っていて、現在は野外オペラ劇場となっている。内部は長さ152メートル、幅128メートル、高さ30メートルで、2万2000人の客席があるという。
ホテルで夕食を済ませた一行は、まだ明るさの残っているうちにこのアレーナの客席についた。安い席だったらしく舞台ははるか下の向こうに見える。球場の外野席のようなものである。
そこで演じられたのはヴェルディの作品だが、まったくわたしの知らないオペラであった。ヴェルディはイタリアのオペラの大作曲家で「リゴレット」「アイーダ」「オテロ」「椿姫」…その他を作っている。演じられたのはその中であまり知られていない「アルツィラ」であった。知らない曲だったし、連日の旅の疲れもあったりして、わたしは眠り始めた。
隣の席にいた同行の女性に肩をたたかれて目覚めたときには辺りは真っ暗になっていて、舞台ではまだ演技が続いていた。
「アルツィラ」について知らないのを残念に思ったわたしは帰国後盛岡市内のレコード店を多く歩いた。運よく奇跡的にそのレコードを探し当てることができた。調べるといろいろ分かった。
この曲はヴェルディ31歳のときの作品で、8作目になる。当時のイタリア3大オペラ劇場の一つサン・カルロ劇場のために書いた最初の作品であった。この作品は、速筆多産の先輩ロッシーニやドニゼッテイに比べて遅筆のヴェルディが珍しくもわずか20日間で仕上げた。しかも、体調が不良であった。批評家は必ずしも悪く批評しないが、ヴェルディ自身は後年このオペラについて「あれはまったくの出来損ないだ」と言っている。そのためかどうか、1845年の初演の数年後から約1世紀の間イタリアはもちろん世界中のどこの劇場でも取り上げられなかったという。
やっと1967年ローマ・オペラでブルーノ・バルトレッティの指揮によってよみがえったという。
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