鈴鹿川八十瀬(やそせ) の浪にぬれ ぬれず伊勢 までたれか思 ひおこせ む
六条御息所
先ごろ三重県で「斎宮歴史博物館」を見学した。松坂から近鉄電車で10分ばかりの明和町斎宮駅で下車、貸自転車店が手荷物預かり所も兼ねている小さな駅である。ここはもともと多気郡斎宮村だったのが昭和30年に隣の明星村と合併して斎明村になった。さらに33年隣接する三和町と合併、「明和村」と改め、由緒ある地名が消えてしまい惜しまれている。
この辺はどこを掘っても斎宮にまつわる史跡や遺物が出てくる土地柄、斎宮の敷地面積は約140ヘクタール、今までおよそ1500棟余の遺物跡が見つかったという。
はるか「日本書紀」の昔から、天皇が即位すると、皇族の姫君の中からト定(ぼくじょう)により、伊勢神宮に仕える「斎王」が選出される。そして京の「野宮(ののみや)」でおこもりの後、平安宮の大極殿で天皇にまみえる。
この場面が、博物館の映像で見られる。それは美しく清らかな斎王の前髪に、天皇自らお櫛(くし)を差され、「都のかたに おもむきたもうな」と、深くおごそかに仰せられる。今後天皇が替わられるまで、決して都に帰ってはならないとの意味である。展示室ではこの「別れのお櫛」のレプリカも見た。幅二寸というからごく小さいもの、れが黒漆の四寸角の筥(はこ)に納められている。
かたわらには等身大の斎王、随身(ずいじん)、命婦等の蝋(ろう)人形があたかも生身の人間のように配置され、背中の辺りがぞくぞくしてきた。因(ちな)みに斎宮制度が確立した天武朝から660年の間に仕えた斎王は64人という。
「源氏物語」にも、斎王はよく登場する。掲出歌は、自尊心が強く超個性的な六条御息所(みやすんどころ)の歌。「振りすてて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖はぬれしや」との光源氏の歌への返歌。鈴鹿川で袖が(涙で)ぬれてもぬれなくても、伊勢に行く私のことなど誰が思ってくれるでしょうか、と少しねじれた女心が詠みこまれている。 |