われもまた大講堂に鐘つくなりその
像法の日は去りしとぞ。
〔現代語訳〕私もまた大講堂で鐘を衝(つ)くのです。その像法(ぞうぼう)の日は去ったのだとして。
〔評釈〕「大正十四年四月」〔「歌稿〔B〕〕五十二首の二十首目の「782歌」で「比叡」と題された十二首の八首目であり、「大講堂」八首の七首目でもある。「像法(ぞうぼう)」は、「釈迦滅後五百年後からの千年間。教法は行われるが真の修行は行われなくなる時。」〔新編『宮澤賢治歌集』〕。森荘已池は「佛の滅後佛教が世に行はれる状態に次のやうな変化があるといふ説。……正法時。像法時。末法時の一。末法の時に生まれた賢治が、大講堂の鐘をつきながらの悲しみの歌である。」〔『宮澤賢治歌集』☆同新編には若干の異同がある〕としている。森の評は、賢治の側に寄り添ったものだとして読んだが、望月の率直な思いとしては、類型を突き抜けてはいない一首だという感を抱いている。
(岩手大学特任教授) |