みづうみは夢の中なる碧孔雀まひ
るながらに寂しかりけり。
〔現代語訳〕(見下ろす)湖(琵琶湖)は、夢の中の碧色の孔雀(アオクジャク)のように見えます。真昼だというのに寂しくてたまらないのです。
〔評釈〕「大正十四年四月」〔「歌稿〔B〕〕五十二首の二十一首目の「783歌」で「比叡」と題された十二首の九首目であり、「大講堂」八首の最終歌でもある。「みづうみ」は琵琶湖で、話者の目は、比叡山の上から湖水を見下ろしているのだと読んだ。しかし、時間的なことを言えば、「778歌」には「薄明」があったから、結句の「まひるながら」には時間的順序のことを考えてしまった。〔「薄明」を夕方にこだわらずに「うすあかり」とすることも考えられる。〕クジャクは、アジアのインド等にすむ。(思わず、ネルー大構内の夕暮れ時などの孔雀を思い出してもいる。)賢治にとっては、多く「幻想性」を持ち、同種の表現に「蒼孔雀」〔インドラの網〕の例もある〔『新宮澤賢治語彙辞典』〕。
(岩手大学特任教授)
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