2007年 11月 14日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉46 伊藤幸子 銀杏の落ち葉

 引力のやさしき日なり黒土に輪をひろげゆく銀杏の落ち葉
  大西民子

 
  盛岡市上田のキャンパス通りのイチョウが散り始めた。周辺のポプラやカエデが鮮やかに色付いても、ここの通りのイチョウは遅くまで緑色を保ち、他の木々の落葉を見届けてから自らを黄金色に染め上げる。冬に入る前の華やぎに見とれて黄落の道を歩むとき、私は決まってこの歌を口ずさむ。「引力のやさしき日なり」というとらえ方、生あるものみな土に還(かえ)りゆく自然の法則を自然な日常語で詠みあげて、すんなりと心に入ってくる。

  大西民子さん−。現代第一線の女流歌人だった。大正13年5月、盛岡市八幡町生まれ。城南尋常小学校、盛岡高等女学校(現盛岡二高)を経て昭和19年、奈良女高師卒業。20歳にて岩手県立釜石高等女学校教諭となる。

  私は今、盛岡のわが母校の先輩の手札型写真を眺めている。制服はわたしのころと同じ、豊かな髪がうなじに垂れて、明るくふくよかな笑顔。

  23歳にて結婚、翌年男児を早死産。昭和24年、埼玉県大宮市に移住。奈良で前川佐美雄に師事した短歌を続け、木俣修の「形成」同人となる。長く埼玉県立浦和図書館勤務。昭和47年、40歳で独身の妹が急逝。民子は肉親のすべてを失ったことになる。

  昭和50年代のはじめごろ、私は茨城の短歌大会で民子にまみえた。歌集も5冊ぐらい出してさまざまな賞も得られ脚光を浴びておられた。歌会後の懇親会で、不肖の後輩だと名乗ると、やおら私の手を取って「見てあげる」と言われた。「あなた、ねえ…」と、ソプラノのよく透(とお)るお声。あのときの手相占いが20余年後、たしかに当たっていたと気づいた。

  「ひとすぢの光の縄のわれを巻きまたゆるやかに戻りてゆけり」あの日頂いた色紙である。王朝風ののびやかな文字、今も墨跡あざやかに私に語りかけてくれる。昭和60年3月、盛岡二高にて「私の歩んだ道」と題して講演。平成6年1月5日、自ら立ち上げた「波濤(はとう)」創刊号の完成を見届けて心筋梗塞(こうそく)のため逝去。享年69。


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