■ 〈胡堂の父からの手紙〉140 八重嶋勲 前月分とあるのは最も不審である
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■198半紙 明治39年6月3日付
宛 東京市本郷区第一高等学校東寮四番
発 岩手縣紫波郡彦部村
前略愈々壮健ニテ勤学罷在候由大慶ニ存候、当方無事ナリ、祖母モ変リカルコト無之候、乍毎度敢テ小言ニモ無之弐拾円ノ金束(策)ニ困難シ□今送金致兼居候、目下夫々交渉中ニ付不日送金可致候、是迄ハ来月分ヲ前月中ニ食費ヲ入ルヽコトゝシテ送金シ或ハ其月四月五日頃迄入ルコトゝ申来リ候処今回手紙ニ前月分トアルハ最モ不審ナリ、加之他ノ生徒ヲ聞クニ大概十五六円ニテ間ニ合居候、如何ナレバ弐拾円以上費消スルヤ、庄兵衛、居太郎、藤原ノ如キモ拾五円以内ナル由、併セ未タ一定ノ学校ニモ入学セサル人数多少減額スルハ当然ナレ共以前正則学校ニ居タトキハ拾四五円ニテ足リタルコト無之、何ノ点ヨリ見ルモ贅澤ニ放費スルニ相違ナシ、何ノ邊迄父母家族ヲ苦ルシムルヤ、少シク口ニ唱ヘ演舌ニ述フル実行セラレ度、当地ノ凶作状況ハ信ヲ置カサルモノカ、一月以来送金弐拾四五円平均ナリ、他人ヨリ約拾円ノ違アリ、少シク注意セラレ度候、若シ其地ニ於テ学資全部又ハ半額位ヲ求ムル土風ナキヤ、其邊ニモ注目セラレ度候、右用事迄早々以上
三十九年六月三日 野村長四郎
野村長一殿
彦部ノ(天田)佐藤与助二日午前十時失火焼失セリ、佐藤定八ノ妻去ル一日死亡セリ、五月三十一日軍人歓迎会基坪ニテ擧行セリ
【解説】「前略、いよいよ壮健で勤学しているとのこと大慶である。当方無事である。祖母も変わったことがない。毎度ながらあえて小言でもないが、20円の金策に困難しており、今送金しかねている。目下それぞれ交渉中であるので近いうちに送金する。これまでは来月分を前月中に食費を入れることとして送金し、あるいはその月4日、5日頃まで入れることと言ってきたが、今回手紙に前月分とあるのは、最も不審である。これに加えて、他の生徒のことを聞くに大概15、6円で間に合わせているようである。いかなれば20円以上を費消するのか。庄兵衛、居太郎、藤原の如きも15円以内であるとのこと。併せいまだ一定の学校にも入学しない人数で、多少減額するのは当然であるけれども、以前正則学校にいたときも14、5円で足りたことはなかった。どの点より見てもぜいたくに放費しているに相違ない。どこまで父母、家族を苦しめるのか。少しは口に唱えることを実行せよ。当地の凶作状況を信用しないのか。1月以来送金24、5円平均である。他人より約10円の違いがあるので、少しは注意するようにせよ。もし、その地で学資の全部または半額位を求めるような道、風土はないのか。その辺にも注目してほしい。右用事まで、早々以上
(追伸)彦部の(屋号天田)佐藤与助2日午前10時失火、焼失した。佐藤定八の妻去る1日死亡した。5月31日軍人歓迎会を基坪で挙行する」という内容。
凶作の年に、学費の金策の工面で相当に苦労していることを綿々と述べている手紙である。
どうして他の学生に比較して、月10円以上も多いのか、父のみならず疑問である。
石川啄木は、4月11日渋民尋常高等小学校尋常科代用教員拝命。6月10日、農繁休暇を利用して、父の宝徳寺復帰運動のため上京、新詩社(与謝野鉄幹)に滞在する。帰郷後小説家を目指して「雲は天才である」「面影」を書く。
このころ啄木と接触があったか、どうか分からない。
わたしは、もっともの原因として、後の妻になるハナの存在が気にかかるのである。
(県歌人クラブ副会長兼事務局長)
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