2007年 12月 4日 (火)
■ 〈古都の鐘〉26 鈴木理恵 ピアノの発表会
ウィーンに今年初めての雪が降った日、それはわたしのピアノの生徒たちのハウスコンサートの日であった。
ハウスコンサートでセバスチャン君はお母さんと連弾で出演
今回は18区、豪邸が建ち並ぶペッツラインスドルフにあるヴィトリアちゃんのお宅でである。1階の広いスペースはサロンとダイニングを兼ねていて、その一角にピアノが置かれている。いくつかのソファの間にいすを並べ、40人ほどが集まった。
コチラではこのように居間にピアノを置くことを好むが、それは食事の後の楽しみにちょっと子供に弾かせてみたり、ピアノに合わせて童謡を歌ったり、はたまたお父さんが昔取った杵柄(きねづか)を思い出してみたり、音楽を自ら楽しむことを、上手下手に関係なく生活の中に気軽に取り入れているからだと思う。
以前も書いたが、コチラではかしこまらず気軽に家で小さなコンサートを催すことが多い。わたしも発表会にはこのスタイルを踏まえている。昔、例えばシューベルトのころに、音楽や詩の朗読、ダンスなどを仲間うちで楽しんでは発表しあったような、サロンの雰囲気をほうふつとさせて大変すてきな風習と思う。肩ひじはらず和やかに芸術を味わい、それを通して人々と親しい交わりができるのである。
開演1時間前に集まりリハーサル。いつもと違う場所やピアノに戸惑い、急にオクターブ下から始める子、大勢の中での演奏におじけづき母親の陰に隠れる子、それに焦りなだめすかす親御さん、その反対に、はしゃいで走り回って転んで泣き出す子…千差万別。一人ひとりがいつものレッスンとは違う表情を見せ、教師としてはそれも興味深い。
しかしリハーサルはそろいもそろって全員、いつもの調子が出なかった。「大丈夫、悪いリハーサルは良い本番のしるしって言うからね!」笑顔を作りつつ、わたしは秘かに頭を抱えた。
開演前にこちらがダウン寸前である。わたしも最後に弾くのだがそこまで考える余裕もない。キッチンで呼吸を整えてから、天を仰ぎ、スタートを待つ皆の前に出て行った。
「みなさん、発表会をすることができてとてもうれしく思います。きょうまで時間をかけて準備してきましたね。その一人ひとりの練習の道のりをわたしは知っています。どの人もそれぞれに頑張りました。この準備が発表会をする意義の7割を占めていると言ってもよいくらいです。ここまで来たら後は皆の前での演奏をできるだけ楽しんでもらいたいです。そしてこの経験がもたらすものを後で考えてください。本番には、いつものレッスンだけでは得られない学びというものがあるのです。それはプロの音楽家にとっても大変重要なことです。わたしはこの経験をみなさんに与えたいのです…」
こうして会が始まった。一人ひとりが自分で名前と曲目を言い演奏する。わたし自身は実感したことがないけれど、例の諺(ことわざ)は本当なのだろうか?全員がリハーサルとは雲泥の差の出来栄えだったのである。
喜び、安ども束の間、わたしの弾く番になってしまった。1枚の似顔絵を見せる。「この人の曲を弾きます。誰でしょう?」「バッハ!」「ベートーヴェン!」「ハズレ!でも有名な曲だから聴けばわかるでしょう…」わたしは弾き出す。ドドソソララソ…皆の顔に笑みが浮ぶのが感じられた。すると子供が歌い出すではないか。「キラキラひかる…」言わずとしれたモーツァルトの変奏曲、テーマが出てくると子供が歌う。これほどの弾く喜びを感じたことは久しくなかったかもしれない。単にわたし弾く人、あなた聴く人ではなく、音楽がその場に満ちて人々を繋ぐ力を見せてくれたからである。それはわたしにとって音楽のひとつの理想の姿なのだ。
その後は持ち寄りのお菓子でティーパーティ。顔面蒼白だった子供も大人も普段の自分を取り戻し、甘いものをほお張り、おしゃべりに花が咲く。わたしの生徒たちは老若男女国籍が実にさまざまで、ここでもお国のスペシャリティなどを味見できるのも楽しい。ゆっくりとなかなか話す機会のない親御さん同士、子供同士の交流の場にもなり、人々の輪が拡がってゆくのも副産物とはいえうれしいものだ。
わたしも日本代表として緑茶をふるまい、折り紙でピアノの折り方を教える。ある子がピアノを弾き出す。ネコふんじゃったに混じって、キラキラ星やブラームスのワルツも聴こえてくる。子供たちは音楽が好きでピアノが好きなのねと、あるお母さんが言われた。それはピアノ教師みょうりに尽きる言葉だった。
(ピアニスト)
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