2007年 12月 7日 (金) 

       

■  全米ラジオに流れた啄木 盛岡大学比較文化研究センターで照井准教授が講演

 第16回盛岡大学比較文化研究センター(照井悦幸所長)は11月30日、盛岡市中ノ橋通のプラザおでってで公開セミナーを行った。大学生や研究者など約70人が参加した。テーマは「啄木と賢治−世界の中で−」。世界的な視点から見た賢治と啄木を3人の教授らが紹介した。

     
  全米ラジオに流れた啄木の翻訳文を発見した照井准教授  
 
全米ラジオに流れた啄木の翻訳文を発見した照井准教授
 
  同大学文学部英語文化学科の照井悦幸准教授は「全米ラジオで流れた啄木のうた」と題して講演。照井准教授は今年8月に渡米した際、米国立議会図書館で1937年に全米ラジオで流れた石川啄木の歌の翻訳文を発見した。

  日米開戦4年前の1937年は、揚子江上で日本軍が米国砲艦パネー号を沈めるというパネー号事件が起こった。時の斎藤博駐米大使(1886−1939)は悪化する日米の関係回復に努める。全米ラジオ放送で日本の短歌などを紹介し、日本への理解を求めようとした。そこで流れたのは啄木の作品だった。

  しかし、当時の記録には3分52秒放送されたと残っていたが、流れた内容は知られていなかった。啄木の歌を初めて翻訳、選集した「A Handful of Sand(一握の砂)」の著書、坂西志保さん(1896−1976)の証言では、坂西さんが英訳した「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」が流れたという。

  照井准教授は「全米に流れた『はたらけど はたらけど』の英訳があるはずだと思っていた。無造作に積まれた当時の資料の中に、ようやく見つけることができた」と、発見した時の興奮を伝えた。

  斎藤駐米大使に依頼され、翻訳した坂西さんの作品は「I work, I work as best I can,yet for all that My living Is none the better… Blankly I gaze at my hands.」。照井准教授は「これまで英訳された中で、最も素晴らしい作品」と紹介。

  「短歌は日本独特のものだが、啄木の歌には米国人や人類にすべてに共通するものがあった。だからこそ斎藤駐米大使は啄木の歌を選んだ」と、啄木の歌の普遍的な魅力について語った。

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