2007年 12月 12日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉50 伊藤幸子 「寂しと言わず」

言ひかけてああ寒いぞと笑ひたり寂しと言はずわれの禁句の
宮英子

 
  「歌人、宮柊二さんは戦時中、一兵士として中国大陸の戦場にあった。〈ひき寄せて寄り添ふごとく刺ししかば声もたてなくくづをれて伏す〉戦争というものの酷薄な現実を、宮さんは歌いつづけた…」

  これは昭和61年12月13日付の朝日新聞「天声人語」である。雪のない穏やかな12月11日、74歳でみまかってしまわれた先生のご葬儀は19日、東京信濃町の千日谷会堂で行われた。40歳になったばかりの私は、焼香に並ぶ列のほとんどが白髪眼鏡の老境の人の群れに息をのんだ。その折の、英子夫人の喪服姿。

  またその年の夏、東京虎ノ門の成人病病院にお見舞に伺ったときは、赤いチェックのシャツ姿の先生の車椅子のわきに、水色のワンピースの夫人が立たれる。さらに平成15年春、柊二創刊の歌誌50周年祝賀会では、赤いはっぴで鏡開きをされる夫人にカメラのフラッシュが降り注いだ。

  「中国に兵なりし日の五カ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」と詠まれた宮柊二の戦後。そして「七十歳越ゆるは人の一生の限度にあらむわれも越えしが」と嘆じられた先生の叶(かな)わなかった八十、九十代を歩いておられる作者。「みづからを叱りつけたり、もう言ふな、八十歳が何だといふの」という作品を10年前に発表されたときは思わず拍手。ひとりで暮らしていると、よくひとりごとが出る。掲出歌は63年1月のときのもの。先生が逝かれてはじめての冬、どんなにか寂しく、辛(つら)い思いをされたことだろう。それを「ああ寒いぞと笑ひたり」と詠まれた心情に打たれる。

  「新しき冬の花なり手にふれて散る白き花々旅のひひらぎ」は昨年冬の作。2月が来れば91歳。歌集も10冊を数えた。つい先年まで、柊二の戦地山西省はもとよりシルクロードもたびたび歩かれ、時折娘さんの住むパリに豊かな時を過ごされる。年明け早々には、やんごなき祝(ほ)ぎごともあるやに伺っている。


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