2007年 12月 16日 (日) 

       

■ 〈賢治の歌〉961 望月善次 ぎんがぎがのすすぎの底の

 「ぎんがぎがの
  すすぎの底の日暮れかだ
  苔の野はらを
  蟻〔こ〕も行(い)がず。」
 
  〔現代語訳〕「(お日様が)ぎんがぎがと(輝く)ススキの(原の)底の夕暮れ時、苔も生えている野原を蟻は行かないのです。」

  〔評釈〕「鹿踊りのはじまり」〔『注文の多い料理店』〕の中に収められた短歌体のもの六首のうちの五首目の作品。「五番目の鹿がひくく首を垂れて、もうつぶやくやうにうたひだしてゐました。」と話者コメントがついている一首。「首を垂れて」いる鹿だから、視線が地面に近くに向いているのである。四首目までの作品が、ハンノキや太陽のように、仰ぐ視線であったから、そうした面での変化をつけることにもなっている。「蟻こも行がず」、話者としては、当然いるべきだと考えた蟻がいないのである。存在するもののみによってではなく、存在しないものによっても読者のイメージを拡大できるのが文学の力。こうした世界が、賢治好みの「夕暮れ時」や「『底』の感覚」と共に表現されている一首。
(盛岡大学学長)

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