■ 〈EU見たまま〉ポーランド編1 小野吉郎 受難の都市ワルシャワ
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日本のような島国では全く想像しがたいが、北はバルト海、南はカルパティア山脈があるが、東西は陸続き。平時の交流は便利でも、平地の多いポーランドのような国では、国境も平地。さえぎる高い山や、大きな河川もなく、古くから敵兵の侵略をうけやすかった。
歴史上5回も分割された
古くは東からフン族や豪古族来襲があり、もっと最近では第2次世界大戦初期に、ドイツ軍とソ連軍の挟み撃ちにあい、分割された。大戦中はさらにドイツ軍はソ連占領地に侵入し、さらに大戦末期にはソ連軍がポーランド全土を占領してしまった。ポーランドという国は消えた。
強制移住でポーランドとドイツの二重悲劇
戦後敗戦ドイツは、西ドイツ、東ドイツ、そしてドイツ東部のポメラニア、シレジアなどの地方はポーランド領になり、東ポーランドはソ連領(現在はその一部はビエロシアとウクライナ領)となる。そのドイツ系住民は東西ドイツに、また東ポーランドの住民も新にポーランド領となった旧ドイツの土地にそれぞれ強制移住という二重の悲劇となった。
東西ドイツが統合されると、ドイツ首相はポーランドに領地を返せと要求したが、ポーランドも立場上応じられない。もともと世界中どこでも隣国同士は仲が悪い。
ポーランド人は働き者
一例をあげると、第1次大戦後の労働力不足により、百万人のポーランド人を北フランスに移住させ、炭坑で働かせた。初めはフランス人とポーランド人を一人ずつ組ませて坑内で働かせた。しばらくするとポーランド人が一人で二人前の仕事をこなし、フランス人の方は全く働かなくなった。働き者の国民性があだになった。これが歴史上たびたびポーランドは近隣諸国に合併される宿命となった。
早まったワルシャワ市民の蜂起
ドイツ軍の敗北がはっきりしてきた戦争末期に首都ワルシャワの市民が一斉に武装蜂起した。しかし残念ながらすぐドイツ軍に制圧され、多くの犠牲者を出した。その際ソ連軍は動かなかった。
ワルシャワの旧市街や、宮殿、そのほか多くの建物は、まるでポーランドの伝統文化を抹殺するかのように、徹底的に破壊しつくされた。ソ連が助けなかったのは、戦後ソ連に亡命していた共産党に政権を樹立させ、ポーランドをソ連の衛星国家にするためだった。
またドイツ軍が電撃的にソ連に侵入した際、カチンの森の捕虜収容所で4500人のポーランド将校が虐殺された。初めソ連はドイツ軍のせいにしたが、ソ連が手を下したことがばれてしまった。これもポーランドをソ連から離反させる原因になった。 |
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