2008年 2月 1日 (金) 

       

■  〈賢治の歌〉1007 望月善次 学校のガラス片ごと

 学校の、 ガラス片(ひら)ごとか
  ゞやきて、 あるはうつろのごとく
  なりけり。
 
  〔現代語訳〕学校は、まるでガラスのかけらのように輝いて、言葉を換えて言えば、虚空(エーテル=光素の充満した空間)のようでもあります。

  〔評釈〕「日の出前」、『文語詩稿 一百篇』二連のうちの後半。関連作品には、229回で取り上げた「清吉が/校長となりし/学校は/朝の黄雲に洗はれてあり(202歌)」や、本作品先駆形「佐藤謙吉とその学校」〔「それ歯磨をかけながら/このたび長となりにける/その学校をながむるは/まこと胸すくわざぞかし このたび長とさだまりし/その学校のガラスみな/ひとひらごとにかゞやきて/天の黄雲に洗はれてあり」〕がある。達意の点からはこれらとの交響が示唆することも少なくなく、文語詩において、賢治が達意から離れていった一証左ともなる。「清吉」については、他に「堅吉」の名もあり、モデルは定め難い。「うつろ」は「虚空」だとし『新宮澤賢治語彙辞典』の知見に縋(すが)った。

(盛岡大学学長)

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