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浜野家の樋爪の文字が入った墓石=内城弘隆さん撮影 |
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三峰神社で樋爪五郎の墓をお参りしたあと、一行は宇都宮市の南隣にある上三川町(かみのかわちょう)の上郷地区を訪問した。この地区は三峰神社から直線で十数キロの距離にあり、住む人々のほとんどが浜野姓という。数ある浜野家の中で浜野正美さんを訪ねた。
この家の墓石には「M野元祖」「樋爪五良季衡末流M野弾正」と書かれている。名字は変えているが、樋爪氏の一族であると同家の先祖は墓石で語っている。
鷹觜利夫さんは、上三川町に樋爪氏の墓があるとのうわさを聞き、紫波町の樋爪氏との関係を調べようと思い立った。上郷地区で墓石を探し当て、墓石を守る浜野さんに聞き取りした。文献を調べるなどして浜野家と樋爪氏のかかわりについて調査を進めている。
鷹觜さんによると、河野守弘(1793年=寛政5年生まれ)が21年かけて嘉永3年(1850年)に完成させた「下野國誌」に「宇都宮家の家臣にM野弾正武季あり、五郎末孫という。後孫今も三軒在家村に」(三軒在家村は上郷地区のこと)とある。
同誌には豊臣秀吉の養子縁組指示に端を発したお家騒動で、同族の上三川城主今泉但馬守高光の家臣のM野弾正季啓が慶長2年(1597年)に今泉一族とともに長泉寺という寺で自害したとある。「M野元祖 樋爪五良…」の墓石は53年後の慶安3年(1650年)に建てられたと刻まれている。
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左から3人目が浜野正美さん=内城弘隆さん撮影 |
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このお家騒動で宇都宮家は改易となり、今泉家に仕えていた浜野家は代々庄屋を務めていた。現当主の浜野正美さんは元教員で年齢は70代。樋爪氏に関する伝承は全く残っていないという。
遠い昔、頼朝により下野に連れて来られた樋爪氏の子孫と紫波町民が800年という気の遠くなるような時を経て対面した。樋爪氏をきっかけとした住民レベルの交流も始まっている。
(おわり、荒川聡記者) |