■ 〈舗石の足音〉192 藤村孝一 「ら抜き」言葉はなるほど便利
|
「山崎ナオコーラ」という作家がある新聞の「指先からソーダ」という欄で「国語の授業で文法を習って、『間違った言い方をしてはいけない』と言われることがあったかもしれない。しかし、『間違った言い方』などない。言いたいことがあるのなら言っていい。文法的に正しいかどうかを気に病むのはナンセンスだ」と述べている。
これも一つの考えである。だが、同様の考えでない者が話し手の話を聞くのは大変である。言うことをとらえるには「言っている内容を正しく翻訳して解釈しなければならない」からである。相手に翻訳し直す迷惑をかけても大きなことを言えるだろうか。
正月過ぎにテレビを見ていたら、区画整理のため店を閉じた「付け麺」の店が100メートルぐらい先に再び開かれたというニュースが流れた。大勢の人が並んでいる列を見ながら店内に入ったアナウンサーが、食べている人に尋ねて「(あなたは)このくらい食べられるのですか」と言った。もし、わたしが尋ねられたら何と答えたらいいのだろう。アナウンサーは「あなたはこのくらいの量を食べることができますか」と尋ねたのか、それとも「あなたはこのくらいの量を召し上がるのですか」と尋ねたのか。アナウンサーはどちらか一方の意味で尋ねたのだろうが「言い方」が悪いために正しく解釈されない。この質問の言い方は文法的には正しいのだが、混乱を招きやすい。
「食べられる」は下二段活用の動詞「食べる」の未然形「食べ」に助動詞「られる」の付いたものである。面倒なことに助動詞「られる」には、4つの意味がある。尊敬、可能、受け身、自発である。この場合「このくらい」があるので「あなたが(ライオンなどに)食べられる」意味の受け身にはならないが、尊敬か可能か分らない。
最近の若い世代の傾向として尊敬を表す場合、動詞に「れる」「られる」を付ける人が多い。例えば、「言われる」「走られる」「行かれる」「来られる」「される」と言い、決して「おっしゃる」「お走りになる」「おいでになる」「いらっしゃる」「なさる」とは言わない。だから、「食べる」の場合も、「お食べになる」とか「召し上がる」とは言わない。
可能の意味の時にも「できる」を付ける言い方はしない。このアナウンサーも「(あなたは)このくらい食べることができますか」とは言っていない。
長くなることを避けるために「られる」「れる」を付けて尊敬や可能を表す傾向がある。そのために聞く側としては混乱を起こしやすくなる。
ところが、皮肉なことがある。文法的には間違っているが今はやりの「ら抜き言葉」を使えばいい。例えば「投げれる」「見れる」「並べれる」「来れる」は間違いだが、全部「可能」の意味である。不思議なことに「ら抜き言葉」を尊敬の意味で使っているのを聞いたことは全くない。例えば「社長が来れました」とは言わないようだ。
「ら抜き言葉」は可能の意味に限られるから初めにあげた文も「(あなたは)このくらい食べれますか」と言ったら可能の意味で話しているとはっきり分ったのかも知れない。 |
|
|
|
|
|
|