2008年 2月 13日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉59 伊藤幸子 「神の火」

 遠隔の操作にうごく原子
  炉の核の鬼火を恐れつつ
  住む
東海正史

 
  太平洋に面した福島から茨城にかけて、なだらかな海岸線が続く。福島県双葉郡浪江町に在住の作者、企業家で地元の名士。朝日歌壇にもよく原発の歌を寄せられる。気候温暖なこの農漁業地域に隣接する双葉町に「東京電力福島原子力発電所」が建設されたのは昭和30年代の後半だった。

  私が移り住んだ43年の浪江町には、原発で働く人々のための簡易宿泊所がさかんに建てられ、わがやのとなりにはデンマーク人の機械技師の一家が住んでいた。買い上げた民家をまっ黄色に塗ってひときわ目立った。

  「放射能の恐怖か過疎の振興か原発の是非問はれて黙す」「原子炉の冷却水を吐き出(いだ)す辺りにヒトデ殖ゆるは何ぞ」これも現実。県や町当局はくり返し日本のエネルギー危機を叫び、原子力の必要性、安全性を説いた。茨城の東海村の原発基地を見学したこともある。あまりにも静かで清潔で、「安全」を強調されればことさらに恐怖感がつのり、一刻も早くその建屋から遠ざかりたい思いにかられた。

  さいわい私たちの住んだ期間には地震も事故も起きなかったが、かの地を離れてもチェルノブイリ事故とか「臨界」の語彙(ごい)を見ただけでも、核分裂の連鎖反応を想像して怖くなる。

  過疎の町に原子の火が点(とも)って半世紀、よくも悪くもこの一帯は原発ぬきでは立ちゆかなくなってきた。「途方もなきエネルギー持つ原子炉の旧(ふ)りつつ常に何かが起こる」とも詠まれるように、作者の思いは切実だ。

  高村薫は平成3年、原子炉を「人間が神から盗んだ火」ととらえ、それを神に返すとして原発襲撃をする小説「神の火」を書いた。驕(おご)れる人間の臨界が描かれて忘れられない。

  さて「路地あひの溝はしりゆくねずみにも年改まる日の光差す」新暦でも旧暦でも年が改まった。平穏な神の火は未来永劫(えいごう)平穏に燃え続けてほしいと念ずるのみである。


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