2008年 2月 18日 (月) 

       

■  〈われらの時代〉19 和井内和夫 赤電話の公衆センター

 ■赤電話の使い方

  登場初期の赤電話は10円玉1枚しか入らなかったので、自動でかけられるのは市内電話だけで、市外電話の場合はその都度申し込んで交換手につないでもらい、通話後に交換手から料金を通知されてお店の人に支払う方式であった。

  赤電話に10円玉が6枚まで入るようになり、市外電話も自動でかけられるようになったのは昭和57年からである。

  したがってそれ以前の赤電話の場合、現在の市外電話のように最初にゼロをダイヤルしても動作せず、市外電話をする場合は次のような手順が必要であった。

  @店の人に頼んで鍵を開けてもらう

  A特番〔市外電話申し込み用番号〕をダイヤルすると交換手が出るので「○○局の○○○○番」というように相手の番号を知らせ、いったん受話器を置いて待つ

  B呼び出しがあって交換手がつないでくれる

  C通話をする、終わったらまた受話器を置いて待つ

  D交換手から料金の通知がくる(これは店の人が聞く)

  E店の人の言う金額を支払うという手順である。

  この手順はたいていの人は経験があるはずである。こう書くと大変なようだが、当時は当たり前のことでなんとも思わなかった。

  新宿駅西口や新幹線が開通して新しくなる前の盛岡駅の地下に、十数個の赤電話を設置した公衆電話センター(サービスステーションとも言った)があったが、どちらも24時間取扱者を配置していた。この場合は委託ではなく当時の電電公社の直営であった。

  24時間人を配置するということは相当のコストがかかるわけであるが、あえてそうしたのは、ダイヤル即時通話ができる範囲が限られ、また100円硬貨が使用できるボックス用公衆電話機が登場する以前は、日本全国に対する市外電話サービスと料金を回収するにはそれ以外に方法がなかったからである

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします