箱を出て初雛のまま照り
たまふ
渡辺水巴
おひなさまの句や歌はいっぱいあるが、一年間の眠りからさめて、今、春の光を浴(あ)まれるういういしさがなんともいえない。待ち待ちて生まれた女児の、初めての節句に贈られた雛(ひな)人形。それは何年たっても箱をあける時、「初雛のまま」のおめみえに心がふるえる。
きれながな目もと、かすかな笑みを浮かべる紅い唇。こんなに小さなお顔の中に、まるで遠い歴史を語るようなまなざし。思いの丈を秘めた情感をただよわせて、いつもおひなさまは見る人々を酔わせる。
かくも美しい雛人形に、深い悲しみを見たのはいつのころからであったろうか。旧暦3月3日、鳥取県八頭郡用瀬(もちがせ)町の雛流しの行事が全国的に知られている。町を流れる千代川で、桟俵に流し雛用の人形をのせて、身の穢(けが)れや不幸を人形に託して流す習わしで、かつてマスコミでもとり上げられ、ドラマにもなった。雛流しの風習は盛岡でも俳句の世界で行われているようだが、「門跡尼寺」とのつながりを思うとき、山陰地方の風土と伝統がなにか心に粟(あわ)立つものを誘い出す。
用瀬町と離れていない若桜町の淡島明神はいにしえから婦人病の治癒、安産などの信仰を集め、雛祭りや雛流しの行事も、もともとは淡島信仰から発生しているともいわれる。
NHKの大河ドラマ「篤姫」の原作者宮尾登美子さんによれば、皇女は古来良縁に恵まれぬ運命で、江戸時代の後水尾天皇から光格天皇に至るまで、10代の天皇の皇女は全部で72人、そのうち結婚された方は11人にすぎず、あとはたいてい尼僧となって門跡寺院を継承される習わしであったという。
皇女が幼くして門跡さんになられる際に、なぐさみに人形をつれて寺に入られたこと、また京都の宝鏡寺には「万世伊さん」とよばれる怖い人形の話もある。人に人相があるように、「人形相」もあることとて、来年もいらぬ雑念を帯びない初雛のままで対面したいものである。
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