■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉46 岡澤敏男 よそよそしい白光
|
■よそよそしい白光
フィーマスに触発され月見草のほのかな夢、水たまりにうつる紫がかった象牙細工の月、そして小さな羽虫のかすかな羽音にも耳を澄まし自然と交感した賢治は、やがて尾入野の台地に着いたのです。
Fけれども今は崇高な
月光のなかに何かよそよ
そしいものが漂ひはじめ
た。その成分こそはたし
かによあけの白光らしい
仁沢瀬橋から無言だった嘉内は尾入野に到着して、やっと歌を詠んでいます。
夜があけて/草がすこうし/青く見ゆ、/しかしむ かうの山は藍いろ
山はまだ暗い藍(あい)色だが周辺の雑草の草の色の青さに夜明けの情緒を視覚的にとらえている。けれども賢治は定性分析して月光に「よそよそしい」成分を感覚しました。おどろくべき鋭敏な官能です。そうした独創的な官能は、すでに大正6年1月の〔ひのきの歌〕で「うすらなく/月光瓦斯のなかにして」と月光を気化させているのです。
また詩篇「真空溶媒」ではマヂェラン星雲に「葡萄糖を含む月光液」と述べ月光を液化させ、さらに「あけがたになり」(先駆稿・「春と修羅 詩稿補遺」)には「青じろくわたる月の香気」と述べて月光を香化したイメージで官能しています。その一方で月を神格化し月天子(がってんし・文語詩未定稿「月天賛歌」)、「普香天子」(詩篇「あけがたになり」)という宗教的な祈りの対象としてもいるのです。
賢治は午前0時40分ころ、宗任橋のあたりで薄くなった雲から透かしてきた月の影を察してより、尾入野に近づく午前3時ころには雲から出て水たまりに写る紫がかった象牙細工の月を見ました。やがて月光に「よそよそしい」成分が漂いはじめ午前3時半ころ、尾入十文字に着きました。たしかに私たちの体験夜行でも尾入十文字のコンビニ(サンクス)で休憩するとき、月光が「よそよそしい」風情となり東の空が白んでゆくのを実感しています。
G東がまばゆく白くな
った。月は少し興さめて
緑の松の梢に高くかかる
尾入十文字から西に200メートルほど街道を下がると当時の地形図に板橋茶屋と記名された地点を通過する。板橋茶屋は秋田街道から分かれて南に入り元御所を経て上船場に至り沢内街道に通じる近道だったらしい。地形図には尾入十文字の道幅が2メートル以上に対し板橋茶屋の分れ道は3メートル以上の道幅で、その片側には松並木の記号が付されている。「よそよそしい」月光がさらに「興さめて」、緑の松の梢(こずえ)に高くかかったという月の位置はこの辺りだったのでしょう。午前4時ころでしょうか。私たちの体験夜行でも、東がまばゆく白くなって道端の草や松の梢に緑がさすのを知るのです。
■コラム 〔あけがたになり〕(先駆形)
「春と修羅 詩稿補遺」より
いまはかすかなけむりとも
見ようとおもった盛岡が
すぐこのみちのまっしたを
巨きく青くひろがって
アークライトの点綴や
また町なみの氷燈の列
つめたいあかつきのかげろふのなかに
ふく郁としてねむってゐる
まことにここらのなほ雪を置くさびしい朝
風の粒子は高原のはてに遠くひしめき
月は崇厳な水銀に凍って
はなやかに錫いろのそらにかゝれば
西ぞらの白い横雲の上には
ほろびた古い山彙の像
ねずみいろしてねむたくうかび
ふたゝび老いる北上川は
あるかなしかに青じろくわたる月の香気を
しづかにうけてながれてゐる
やぶうぐひすがなきはじめ、
なきはじめてはしきりになき、
残りの雪がおえかにひかる
|
|
|
|
|
|
|