学校は、 稗と粟との野末にて、
朝の黄雲に濯はれてあり。
〔現代語訳〕(この)学校は、稗と粟などが植えてある野の果てにあって、朝の黄色い雲に洗われています。
〔評釈〕文語詩一百編の「日の出前」の前半。短歌的に言えば、初句に相当する「学校は」や第三句の「野末にて」の後の空白はあるものの、五七五七七の短歌定型に完全に一致している。すなわち、文語詩「日の出前」は、明日取り上げる後半と共に、短歌形の叙述二つ置きながら、短歌ではなく「文語詩」としているのである。作者賢治の意図としては、短歌からの区別は明らかであるが、それが、ただちに、抽出作品を短歌ではないとすることができるかというと、問題はそれほど単純ではない。なぜ、短歌二首の連作とはせずに、あえて「文語詩」としたのか。賢治の文語詩の内実にもかかわる問題であろう。意味の点では、「稗と粟との野末」から、豊かではない土地が思われ、「朝の黄雲」は一層美しい。
(盛岡大学学長) |