2008年 4月 1日 (火) 

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉望月善次 連載開始にあたって

 縁あって、本紙に「石川啄木の歌集外短歌評釈」の連載を始めたのは、2001年4月1日のことであった。この営みは、読者の皆さんや本紙編集部の励ましがあって、2005年1月12日〔全1337回〕まで続けることができ、関連して次の2つの書物も発刊できた。

  望月善次『石川啄木歌集外短歌評釈T〜1901年(明治34年)1月〜1908年(明治41年)6月〜』(信山社、2003、3、31)。

  望月善次『啄木短歌の読み方〜歌集外短歌評釈一千首とともに〜』(信山社、2004、3、31)。

  最初の書物をまとめようと決心したのは、岩手大学教育学部学部長を務めていた頃であり、教員養成学部の統合問題や国立大学の法人化問題を抱えていた時期であった。(ご支援くださった関係の皆様に改めて感謝したい)

  書物の出来としては、自身の力量のこともあり、抱えていた問題にかまけて不十分なところの少なくないものとなってしまったが、後者については、「第19回岩手日報文学賞・啄木賞(2004・7・20)」までも頂戴した。

  ところで、その連載中から、「もし運命に許されるのであれば、次は賢治短歌の評釈を行いたい」と思うようになっていて、いろいろの場でもそれを公言して来た。

  幸いなことに、これについても本紙編集部の理解が得られ、2005年の4月1日からの連載を行うことができた。この連載についても、読者各位からの励ましがあり、お蔭で賢治短歌のほぼ全てに渡る評釈を先頃終えることができた。〔2008年3月16日/全1050回〕。

  啄木・賢治の両者を合わせると、約7年にわたる連載であったが、窓口となってくださった関口厚光編集局長の励ましもあって、その間何とか原稿に穴をあけることもせずに済んだ。本当に恵まれたことであり、「運命の加護」を感じる日々でもあった。

  この間、2007年3月には、28年間お世話になった岩手大学を退職したが(同4月岩手大学特任教授、同5月同名誉教授)、2007年12月1日から、盛岡大学学長に就任し、併せて2007年12月〜2008年2月には、インド・デリー大学大学院客員教授をも併任したから、少し慌ただしく過ごしてもいる日常である。

  物事の考察には、巨視的・微視的、あるいは抽象的・具体的側面の両者が必要であることというのが年来の主張であるが、(微視的側面に相当する)「評釈」という手だてにより、一首一首に割合丁寧に付き合うことができたことによって、啄木・賢治短歌考察の一つの基盤が与えられたのだとも考えている。

  しかし、この7年間における連載は、例外的には、啄木・賢治の両者を関連付けることもあったが、基本的には啄木短歌は啄木研究、賢治短歌は賢治研究の範囲で考察するものであった。

  次の段階としては、両者を合わせることを原則とする考察を行うべきであると考えて来たが、今回本紙編集部の理解が得られ、啄木短歌と賢治短歌とを合わせることを基本とする機会が与えられることになった。

  1.毎回、テーマに沿った啄木、賢治両者の短歌を現代語訳を添えて掲げる。

  2.「作品・現代語訳」を除いた「評釈」部分は400字程度。

  3.週3回程度。

  以上の3つを条件として考察を進めたい。

  ご愛読戴けるなら幸いである。

       〔2008・4・1(火)〕

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします