2008年 4月 3日 (木) 

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉1 望月善次 海1 幻想と実景

 【啄木の歌】

  東海の小島の磯の白砂に

  われ泣きぬれて

  蟹とたはむる〔『一握の砂』1〕

  〔現代語訳〕日本の東方の海にある小さな島の磯の白い砂に、私は泣いて涙にぬれながら、蟹(かに)と遊んでいるのです。

  【賢治の歌】

  まぼろしとうつつとわかずなみがしら

  きほひ寄せ來るわだつみをみき

  〔「歌稿〔B〕」10、「明治四十四年一月より」〕

  〔現代語訳〕(初めて見た海を前にして、これが)幻か現実かが分かりません。波が勢いよく寄せてくる海というものを見たのです。
 
  〔評釈〕啄木の『一握の砂』の巻頭歌であり、本人の自信作でもあった著名歌を掲げるところから連載を始めたい。「歌稿ノート 暇ナ時」(明治四十一年六月二十四日)が初出。初出時の前後の作品を見れば、少なくともこの作品が出来上がった時は、事実などを背景としない〈幻想的な作品〉であったことは明白。そうした点からは「小島」の該当場所の詮索(せんさく)などお門違い以外の何物でもない。そうした作品を『一握の砂』巻頭に置くのだから啄木の芸は深く、あえて俗な言い方もすれば「罪も深い」。

  賢治の方は、盛岡中学校四年生時に松島・仙台方面への修学旅行で初めて海を見た時の感激を背景にする〔明治四十五五月二十七日、石巻・日和山〕。「〔われらひとしく丘に立ち〕」(「文語詩未定稿」)にも「海とはおのがさとれども/伝へてきゝしそのものと/あまりにたがふこゝちして」とその感嘆を記す。「幻想の啄木」と「実景の賢治」との対比は、ここでも鮮やか。

(盛岡大学長)

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