■柱状節理の安山岩
賢治と河本の次に目を覚ましたのは嘉内だったらしい。いたずらっ子の嘉内は、まだ眠っている小菅健吉の枕近くの浅瀬にボチャンと大きな石を投げ入れました。
L睡ってゐる人の枕も
とに大きな石をどしりど
しりと投げつける。安山
岩の柱状節理、安山岩の
板状節理、水に落ちては
つめたい波を立てうつろ
な音をあげ、目を覚まし
た。目を覚ましました。
低い銀の雲の下で愕いて
よろよろしてゐる。それ
から怒ってゐる。今度は
にがわらひしてゐる。銀
色の雲の下。
川に投じたのは柱状や板状節理の安山岩だったらしい。賢治はこの安山岩の素生(すじょう)を葛根田川上流の渓谷に沿う玄武洞(葛根田の大岩屋)にある柱列の一部が崩落した石と見分けました。この玄武洞には柱状節理をした暗黒色のたくさんの柱列がみられるのです。その柱状の崩落石が暴れ川にもまれもまれて葛根田川の下流に流れついたころには、角がすりへって円い柱状の石ころになっていたのでしょう。しかしそこは地質学徒の賢治のことだから玄武洞からの素生を判別したのでした。
現在の葛根田橋に立つと葛根田川の上流や下流には川石がごろごろ占有する中州が眺められます。そこで私も中州を訪れおびただしい川石の中から、柱状節理の安山岩を探してみました。賢治ならば、あっさりとその素性を見抜くでしょうが、私には半日かかってもどれやどれやらさっぱり判別つかないのです。
ところで、その安山岩を眠っている健吉の枕もとの水中に「どしりどしりと」投石したのは嘉内でした。びっくりして目を覚ました健吉は「よろよろと」起き上がると投石犯人が嘉内だと知り苦笑いしたのです。
嘉内と健吉は粋も甘さも分かりあう同志なのでした。二人は夜行の道中で言い合ったのは、あるいは二人だけに通じる女性関係のゴシップだったのか。
健吉はこの夜行詠「不良少年」7首のなかで嘉内を不良少年とよび「不良少年と言い合い夜すがら歩みけるつかれて休む不良少年」と歌っています。その四首目につぎの歌がみられます。
川中に友の休みを水かけて邪魔したりける不良少年
健吉(『アザリア』第二輯)
これに対して嘉内は次のように詠んでいます。
川原に睡った人を/起こさんと/ぼちゃんと石を/ 水中になぐ
嘉内60首詠の59の歌
これらの歌の応酬をみれば、健吉が嘉内を不良少年とよびながら敬愛する親密度がかいま見えてきます。
現在の葛根田橋をくぐって下流に向えば、竜川との合流点となり千畳敷のような葛根田川原が眺望されます。その中州には大小無数の川石がごろごろしているので、形骸(がい)となった柱状節理の安山岩類もたくさん埋もれているのかも知れません。
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