新しき語の説明をしゐる
とき空気緊まれる教室と
なる
後藤美子
新年度、新学期が始まった。新しい環境に心をときめかすのは生徒も先生も同じ。私は高校で「古文」の授業のとき、日本語なのに「新しき語」のような感動を味わった。声に出して読むのが楽しくて、平安女性のような憧(あこが)れの先生の講義に聴き入った。それも道理、その先生は結婚なさったばかりで、時折頬を染めながら「若紫」を語り、源氏の君の恋の歌を解釈された。初々しく眩(まば)ゆい春の教室。
掲出の後藤さんは、長く札幌市で高校の国語の先生をされて退職。「平安の人は切りしよ丑の日に手の爪寅の日に足の爪」と詠まれる。今でも夜には爪を切るものでないと言われるが、手の爪、足の爪を切る日まで定められていたなんて、いにしえ人の生活習慣に驚かされる。古い物語を読むと、よその家を訪問するときには「貧、福、ヒン、プク」と唱えながら、福足から玄関に入ったという記述もある。「祈る意を元に持ちつつ吉凶に別れゆきたり〈祝ふ〉と〈呪ふ〉」この歌もおもしろい。よく時代劇などを見ると、「人を呪わば穴二つ」と言っているのを聞くが、もとは「人を祈らば」で、祈り殺す怨念がこめられて恐ろしい。昔も今も、人の想念の奥深さに感じ入る。
さて、現在の教室を見渡せば、「細く鋭きシャープペン、光るサインペン、絵のごとき文字、生徒は好む」そして「縦書きは国語教科書のみなりと今更に知り深くおどろく」。ケータイ普及でますます横書きに拍車がかかる。
やがて退職。「職業の欄に初めて〈無〉と記し鋭きものが我を貫く」「生徒らの幾十の眼にさらさるる緊張感の時折恋ほし」働いていたころはあれほど欲しかった時間と自由。ほどほどに注がれる視線のシャワーは若さの源でもあろう。「書き終へむことを疑はず買ひたりし十年日記今日より三年目」との第二歌集「十年日記」刊行から10年たった。海外詠も多く、ますます充実の春であろうと思われる。
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