2008年 4月 10日 (木) 

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉4 望月善次 海4 「君」と「ひと」

 【啄木の短歌】 朝ゆけば砂山かげの緑叢(りょくさう)

  の中に君居ぬ白き衣して。

  〔明治四十年五月十一日「丁未日記」〕

  〔現代語訳〕(私が)朝(の砂浜を)行きますと、砂山の蔭の緑の草むらの中にあなたはいたのです。白い服装をして。

  【賢治の短歌】

  寂光の

  浜のましろき巌にして

  ひとりひとでを見つめゐるひと。

        〔「歌稿〔B〕」563〕

  〔現代語訳〕寂しい光(を浴びている)浜の真っ白な巌で、一人でヒトデを見つめている人よ。
 
  〔評釈〕海に関係しながら、共に話者が観察者としてある一首。啄木作品では、「朝ゆけば」と話者が明示されているのに対し、賢治作品においては、話者ははっきりとした形では示されていない。また、その話者が、どのような人物を見ているかについても、両者の相違が面白い。啄木作品では、やはり女性を置く。「砂山/緑/白き衣」とそのコントラストも鮮やかである。季節的にも、日記の日付の五月十一日に対応した内容であるから、実際にそうした「君」を見たのであろうし、そう読むのが自然でもあろう。しかし、実際の「君」ではなく、啄木の「想像」の中の「君」だとしても十分に成立し得る一首。これに対して、賢治の「ひと」はやはり男性が相応しい。実際、この作品のバリエーションでもある「歌稿〔B〕」の「503・504a歌」においては、「基督の/さましてひとり岩礁に/赤きひとでを見つめゐるひる」と「ひと」をイエス・キリストになぞらえている。

(盛岡大学長)

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