【啄木の短歌】 朝ゆけば砂山かげの緑叢(りょくさう)
の中に君居ぬ白き衣して。
〔明治四十年五月十一日「丁未日記」〕
〔現代語訳〕(私が)朝(の砂浜を)行きますと、砂山の蔭の緑の草むらの中にあなたはいたのです。白い服装をして。
【賢治の短歌】
寂光の
浜のましろき巌にして
ひとりひとでを見つめゐるひと。
〔「歌稿〔B〕」563〕
〔現代語訳〕寂しい光(を浴びている)浜の真っ白な巌で、一人でヒトデを見つめている人よ。
〔評釈〕海に関係しながら、共に話者が観察者としてある一首。啄木作品では、「朝ゆけば」と話者が明示されているのに対し、賢治作品においては、話者ははっきりとした形では示されていない。また、その話者が、どのような人物を見ているかについても、両者の相違が面白い。啄木作品では、やはり女性を置く。「砂山/緑/白き衣」とそのコントラストも鮮やかである。季節的にも、日記の日付の五月十一日に対応した内容であるから、実際にそうした「君」を見たのであろうし、そう読むのが自然でもあろう。しかし、実際の「君」ではなく、啄木の「想像」の中の「君」だとしても十分に成立し得る一首。これに対して、賢治の「ひと」はやはり男性が相応しい。実際、この作品のバリエーションでもある「歌稿〔B〕」の「503・504a歌」においては、「基督の/さましてひとり岩礁に/赤きひとでを見つめゐるひる」と「ひと」をイエス・キリストになぞらえている。
(盛岡大学長)
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