2008年 4月 12日 (土) 

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉5 望月善次 海5 寂しさの共通性

 【啄木の短歌】

  夕浪は寄せぬ人なき砂浜の海草にし
  も心埋もる日。
  〔明治四十年五月十一日「丁未日記」〕

  〔現代語訳〕夕浪は寄せて来ました。人もいない砂浜の海草に心を埋めている日に。

  【賢治の短歌】

  うるはしき
  海のびろうど 褐昆布
  寂光ヶ浜に敷かれ光りぬ。
  〔「歌稿〔B〕」561歌〕

  〔現代語訳〕美しい海のビロードである褐色の昆布が、寂光ヶ浜に敷かれて光っています。
 
  〔評釈〕啄木作品は、啄木にしては少し物足りない作品。第四句から結句にかけての「海草にしも心埋もる日」の詰めが甘いのだというのが評者の読み。賢治作品は、前回も取り上げた岩手県宮古市浄土ヶ浜を対象とした作品。「寂光ヶ浜」は、賢治の創作地名だと言われているもの。「寂光」は、天台宗の「常寂光土」(理想と現実が一体な永遠絶対な世界)を念頭に置いたものだという。またこの時期は北原白秋に傾倒していた時期で、白秋の「寂光の浜に群れゐる大鴉群れてなくかねばまた一羽来し」〔『雲母抄』〕の影響も言われるという〔『新宮澤賢治語彙辞典』〕。その北原白秋は、啄木の友人であり、「詩人として啄木ほどの技巧家は當時極めて稀であつた。寧ろ技巧に淫するくらゐの人である。」〔『石川啄木選集』(大正十五)〕と早く啄木の技巧を喝破した人物であったことや、「ビロード(天鵞絨)」にも、啄木の小説に同名の「天鵞絨」があることなどが興味深い。
(盛岡大学学長)

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