【啄木の短歌】
学校の図書庫(としょぐら)の裏の
秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず
〔『一握の砂』167〕
〔現代語訳〕(盛岡中)学校の図書庫の裏にあった秋の草よ。(その花は)黄色い花が咲いていました。今もその草の名前を知らないのです。
【賢治の短歌】
しゃが咲きて
きりさめ降りて
旅人は
かうもりがさの柄をかなしめり
〔「歌稿〔B〕」186〕
〔現代語訳〕シャガ(射干)の花が咲いて、霧雨が降っていて、旅人は、こうもり傘の柄を悲しんでいるのです。
〔評釈〕前回啄木の名歌「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ〔『一握の砂』128〕」を取り上げた。前回のテーマは「不遇」であったが、「花」にちなむ作品を取り上げてみたい。啄木作品の「学校の図書庫」は、モデル的に言えば盛岡中学校の「図書庫」であるが、「普遍性」が持ち味の啄木短歌において、そうしたモデル詮索(せんさく)がプラスに働くか否かは、啄木短歌をめぐる最も中核的なテーマであろう。前回の「『一握の砂』128歌」でもそうであったが、啄木の「花」が具体的な名称にまで至らないのは、植物等に関する知識量の問題と同時に、この普遍性問題を含むのであろう。
植物等に関する知識量と言えば、賢治の方は言うまでもなく豊富である。「今も名知らず」の啄木に対して「しゃが」は、きわめて自然に提出される。自然に書き出しながら、「かうもりがさの柄をかなしめり」と不思議さを含んだ表現に至るのも、賢治短歌の特徴。
(盛岡大学長) |