2008年 4月 17日 (木) 

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉7 望月善次 花1

 【啄木の短歌】

  学校の図書庫(としょぐら)の裏の

  秋の草

  黄なる花咲きし

  今も名知らず

       〔『一握の砂』167〕

  〔現代語訳〕(盛岡中)学校の図書庫の裏にあった秋の草よ。(その花は)黄色い花が咲いていました。今もその草の名前を知らないのです。

  【賢治の短歌】

  しゃが咲きて

  きりさめ降りて

  旅人は

  かうもりがさの柄をかなしめり

      〔「歌稿〔B〕」186〕

  〔現代語訳〕シャガ(射干)の花が咲いて、霧雨が降っていて、旅人は、こうもり傘の柄を悲しんでいるのです。
 
  〔評釈〕前回啄木の名歌「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ〔『一握の砂』128〕」を取り上げた。前回のテーマは「不遇」であったが、「花」にちなむ作品を取り上げてみたい。啄木作品の「学校の図書庫」は、モデル的に言えば盛岡中学校の「図書庫」であるが、「普遍性」が持ち味の啄木短歌において、そうしたモデル詮索(せんさく)がプラスに働くか否かは、啄木短歌をめぐる最も中核的なテーマであろう。前回の「『一握の砂』128歌」でもそうであったが、啄木の「花」が具体的な名称にまで至らないのは、植物等に関する知識量の問題と同時に、この普遍性問題を含むのであろう。

  植物等に関する知識量と言えば、賢治の方は言うまでもなく豊富である。「今も名知らず」の啄木に対して「しゃが」は、きわめて自然に提出される。自然に書き出しながら、「かうもりがさの柄をかなしめり」と不思議さを含んだ表現に至るのも、賢治短歌の特徴。

  (盛岡大学長)

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