2008年 4月 18日 (金) 

       

■  徳丹城出土の木製兜は1300年前の作 年代測定結果が判明

     
  木製冑の削り込み想像図  
 
木製冑の削り込み想像図
 
矢巾町教育委員会は17日、2006年に徳丹城跡から出土した木製冑(かぶと)の年代測定結果を明らかにした。それによると、西暦650〜675年の7世紀後半とみられ、大化の改新(645年)から間もないころに中央で製作されたようだ。発掘当初は9世紀前半と推定していたが、さらに2世紀もさかのぼる結果に町教委は驚いている。同時代の木製冑の記録はない。これによって中央の兵士が漆塗の木製冑を使っていたことが分かった。出土した木製冑は1年9カ月かけて保存処理が行われ、同日、報道陣に公開された。

 木製冑は06年の徳丹城第65次調査で同年7月31日に井戸跡から出土した。井戸桶(おけ)として再利用していたとみられている。大きさは横24・5センチ、幅20センチ、高さ16・8センチ、深さは14・9センチ、厚さは2センチほど。

  表面には漆が塗られ、縁には錏(しころ・首の周囲を防護するもの)を装着したと思われる22個の穴跡がある。左側の側面には大きな切り込みがあり、これが武具から外された理由と教委では考えている。

       
  保存処理を終え記者会見で初めて公開された木製冑 保存処理を終え記者会見で初めて公開された木製冑  
 
保存処理を終え記者会見で初めて公開された木製冑
 
  保存処理の過程で樹種はトチの木で、乾燥させた丸太を縦に二分割し、頭部は樹皮側、下側が分割した年輪の中心部分になっていることが分かった。皮面が固い材質を利用し強度が求められる頭部にしている。

  保存処理にはポリエチレングリコール(PEG)含浸法により行われた。この方法はPEGを徐々に染み込ませて、冑に含有する水分と交換していくもので、PEGは水より重いため出土時より2割ほど重い2キロ程度になった。

  処理が終わり町教育委員会に冑が到着したのは記者会見前日の16日。漆がはがされているため木目がはっきり分かり、内側は漆を塗った後に焼き、削り、塗るという手法で作られていることが分かった。

  西野修社会教育課文化財係長によると古墳時代後期のタイプに近いという。「古墳時代後期から平安時代中期の武器、武具は知られていなかった。理由はほとんど風化したからだろう。水桶として使われていたために、奇跡的に1300年以上も保存できたのだろう」と話す。国内で一つしかないため、基本的に貸し出しをしない方針という。

  保存処理をした木製冑は19、20日の徳丹城桜まつり、26日から5月6日のゴールデンウイーク期間中、矢巾町歴史民俗資料館(矢巾町西徳田3の188の2)で公開される。問い合わせは町社会教育課(電話019−611−2860)まで。

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