2008年 4月 18日 (金) 

       

■  〈桜物語〉1 紫波町桜町「南面の桜」

 紫波町桜町の志賀理和気神社境内にある町天然記念物「南面の桜(ヒガン桜)」は、縁結びの桜として知られている。境内には古木が連なり、桜町の名前の由来にもなった。この物語の主人公は、京都から左遷されてきた藤原頼之という公家、もう一人は紫波町彦部から盛岡市玉山地区を支配していた川村氏の娘・桃香。時代は鎌倉時代の最晩年の元弘年間(1331〜1334年)という。

     
  今年も京都の方角の南側に美しい花を咲かせる南面の桜(16日撮影)  
 
今年も京都の方角の南側に美しい花を咲かせる南面の桜(16日撮影)
 
  頼之の風ぼうは伝説にはないが、京都貴族のあか抜けた姿形で、当時の奥州には見られない若者であったのだろう。全く違うタイプの頼之に桃香は一目ぼれしたようだ。

  2人は志賀理和気神社の参道に満開に咲いた桜を想像して桜を植樹した。これが桜町の桜並木である。

  2人の恋は短かった。頼之は都に戻り、2人が再び会うことはなかった。再会を誓った頼之を慕う桃香。だが頼之は京都に桃香を呼び寄せなかった。歳月を経て大木になった並木の木の1本は季節になると京都の方向の南面に花を咲かせる。

  藤原氏の系図(尊卑分脈)をみると、左遷されたとする南北朝時代の終わりころに頼之の名前は見当たらない。時代をさかのぼると藤原氏の北家系図に藤原道長の従兄弟の頼定の項に「或いは頼之」としている。生年は康保3年(966年)というから、南面の桜の伝説から300年以上前の人物になる。

  川村家の系図は近世に作られたものがあるが、その以前は火災などで焼失したため抜けている。仮に残っていたとしても、この時代は系図に女性の名前を書いたものはほとんどなく、桃香というお姫様について、確認することは難しいだろう。

  2人の主人公は伝説上の人物で、話は複数の伝説が合わさってでき上がった気がする。地域では30年程前に桜町並木保存会(長谷川哲吾会長)を発足し、桜のせん定をするなどの手入れをしており、20年程前には南面の桜の苗木をカナダに贈ったこともあるという。

(荒川聡記者)

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