2008年 4月 18日 (金) 

       

■  藤原嘉藤治展始まる 賢治の親友の生き様を紹介

     
  宮沢賢治全集7巻十字屋版完成記念会で撮影(1945年1月)。後列中央が嘉藤治  
 
宮沢賢治全集7巻十字屋版完成記念会で撮影(1945年1月)。後列中央が嘉藤治
 
  「賢治の親友・藤原嘉藤治展〜文学を語り音楽を奏でた二人の交友」(盛岡市、盛岡観光コンベンション協会主催)が14日、盛岡市中ノ橋通1丁目のもりおか啄木・賢治青春館で開幕した。賢治・嘉藤治こだまの会(瀬川正子会長)が作成したパネルと資料約80点を展示。「宮沢賢治との出会い」「賢治と嘉藤治の言葉」「東京での全集編纂(さん)時代」「開拓時代」の4つのテーマで、2人の親交の軌跡と嘉藤治の生きざまを紹介している。

  藤原嘉藤治(1896〜1977年)は紫波郡水分村(現紫波町)生まれ。同い年の宮沢賢治とは、その死までの12年間、文学と音楽を通して交流を深めた。「セロ弾きのゴーシュ」の誕生の影に、賢治とセロを交換し合ったという嘉藤治の存在は大きい。

  展示資料のほとんどは初公開。2人の友情を物語るのは、賢治が嘉藤治にあてた1通の封書(1932年9月23日)。内容は、嘉藤治が音楽教師として勤めていた花巻高等女学校の生徒らの独唱が、ラジオで放送されたことを祝ったもの。

     
  宮沢賢治直筆封書、藤原嘉藤治あて。1932年9月23日。自分の名前を「一町民」と記している  
 
宮沢賢治直筆封書、藤原嘉藤治あて。1932年9月23日。自分の名前を「一町民」と記している
 
  封書の裏に「一町民」と記し、嘉藤治の自宅ではなく学校の気付にしたことは、嘉藤治の実績が客観的に評価されたことと、その存在を学校にアピールするためと考えられる。

  嘉藤治は賢治の死の1年後、34年に同校を退職し、家族を連れて上京。終戦までの10年間、賢治の全集(文圃堂版、十字屋版)の出版に尽力した。

  十字屋版の第2回配本の第1巻が発行された40年、賢治の実弟宮沢清六氏から嘉藤治あてに手紙が届く。「第一巻只今到着。やったなあ。と、感嘆深いものがありました。あなたの御苦心は大したものでせう」と感謝の気持ちがつづられている。45年、同全集7巻の完成記念会で撮影した写真も展示されている。

  嘉藤治は戦後、郷里の紫波町に引き上げ、賢治の精神を実践しようと東根山ろくに入植。その開拓の様子を写した写真なども紹介している。

  5月28日まで。午前10時から午後6時(入館は同5時半)まで。5月13日は休館。講演とワークショップ「セロ弾きのゴーシュと音楽療法」(いわて音楽療法の会協力)は4月26日の午後2時から同4時まで、同会場で開催。入場無料。

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