2008年 5月1日 (木) 

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉13 望月善次 桜2、第三人称的話者

 【啄木の短歌】

  春なれや桜のにしき紅き中に市の花

  人花もよひする

  〔『盛岡中学校校友会雑誌三月号』(明治三十五年)

  〔現代語訳〕春ですねぇ。桜花の錦のような紅色の中に、町の花見の人たちは花の準備をするのです。

  【賢治の短歌】

  学校の郵便局の局長は

  (桜の空虚)

  齢若く死す。

  〔「大正五年十月より」、「歌稿〔B〕」(393歌)〕

  〔現代語訳〕学校(の近く)にある郵便局の局長は、(その郵便局は空洞のある桜も混じる桜並木の近くにあったのですが、)齢若くして死んだのです。
 
  〔評釈〕今回の桜は、(作者に限りなく近いであろう)話者が、自身は観察者である「第三人称的話者」の場合の作品を取り上げた。啄木作品の「花人」は「桜人」ともいい、花見、特に桜の花を愛する人のことで「春」の季語。「もよひ」は「催ひ」で「準備」のこと。盛岡中学校四年の、恐らくは年度末へと向かう時期であった作歌状況を考えると、この背後にある光景が実際に見たものか、想像の世界のものであるかの断定には微妙な部分も残ろう。

  賢治歌は、賢治短歌に時々見られる、そのままでは、意味が通りにくい作品例。「(桜の空虚)」が達意の点からは飛躍し過ぎるのである。「現代語訳」では、「歌稿〔B〕393・394a」の「うつろある桜並木の影にして/〔若き〕局長年わかく死す。」と相補う形によった。そうした点からは「(桜の空虚)」は必ずしも成功しているとは言えないが、こうした意味の飛躍は、後の詩創作においては生かされることにもなる。

(盛岡大学長)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします