【啄木の短歌】
花散れば
先づ人さきに白の服着て家出づる
我にてありしか
〔『一握の砂』168〕
〔現代語訳〕(桜などの)花が散れば、他の人たちよりも早く、(夏用の)白い服を着て、家を出る私でありました。
【賢治の短歌】
あまぞらの風に高鳴り
さくらばな
あやしくひとの
胸をどよもす
〔「歌稿〔B〕」473・474c歌〕
〔現代語訳〕天空の風が高い音で鳴り、桜の花が不思議に人(私)の胸に大きく響動するのです。
〔評釈〕今回は「桜」によって「自身をどう表現するか」という観点から考察を加えたい。
啄木歌における「花」は、東北の地では第12回で取り上げた賢治の「ほうさくらひとときに咲くこの国は花散りてまた雲きたるなれ」が示すように、春先に多くの花が一斉に咲くから、「桜」のみに限定することには異論も予想されようが、「花」の中に桜が含まれていることは間違いがないところであろう。「白の服」は夏服を意味しようが、気候的差異を無視して全国一律に「衣替え」を行うのは、中国文化を尊重してそれに倣おうとした古人のイジラシイ心根〔高橋和夫『日本文学と気象』(中央公論社、1978)〕。そのことは別にして、抽出歌からは、肩肘張って颯爽(さっそう)たらんとした啄木がうかがえる。
賢治の方は、同歌異稿の「わが胸をうちどよもせる」によってようやく「人」が「我」だと断定できる。自身を押し出そうとする啄木と、控えめに自身を抑えようとする賢治が好対照をなす。
(盛岡大学長) |