2008年 5月6日 (火) 

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉15 望月善次 桜4 上京在京者の感慨

 【啄木の短歌】

  花咲かば楽(たのし)からむと思ひ

  しに楽(たのし)くもなし花は咲け

  ども

  〔「曇れる日の歌(八)」『東京朝日新聞』明治四十三年三月三十日〕

  〔現代語訳〕(桜の)花が咲いたら、楽しいだろうと思っていましたが、楽しくもありません。花は咲いたのですけれども。

  【賢治の短歌】

  エナメルのそらにまくろきうでをさ

  さげ、花を垂るるは桜かあやし。

  「歌稿〔B〕」805(大正十年四月)

  〔現代語訳〕エナメル色の空に真っ黒な腕を捧げて、花を垂れているのは桜なのでしょうか。怪しい心持ちです。

  〔評釈〕「桜」シリーズの最後は、「上京した在京者の感慨」の観点からの考察を加えたい。啄木歌は、「曇れる日の歌(八)」五首の冒頭歌。「花」を「桜」とできるかは、今回も微妙なところは残ろう。『東京朝日新聞』には、明治四十三年の三月十八日から十月九日まで連続的に『一握の砂』と重なる作品を発表しているが、『一握の砂』への脱落歌研究も興味ある論点で抽出歌もそうしたものの一つ。最後の上京から既に二年目が終わろうとしている。上京者と言っても、既に帰る可能性のない上京者である。作品としての凝縮度は高くないが、「楽(たのし)くもなし花は咲けども」に籠(こ)もる気持ちは察するに余りある。

  賢治歌は、国柱会への家出事件を経て、父親と関西旅行を行った後の時期の作品。「エナメルのそら」、「まくろきうで」、「花を垂るる」の結合比喩(ゆ)が賢治作品の特徴に通じるもの。「あやし」は、桜か否かのみではなく、自身への問いでもあると読んだ。

(盛岡大学長)

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