■ 〈胡堂の父からの手紙〉163 八重嶋勲 われも村長を退職するつもりである
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■224巻紙 明治40年5月23日付
宛 東京市小石川区高田老松町二十八番
吉田方
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧東京生活等之事柄ハ石杜冨蔵殿ヨリ略等承知致居候、併シ他ノ人々ニ比シ學費多額之様ニ被思候、何分万事ニ節険(倹)ヲ加ヘ學費減額セラルヽ様被致候、長岡ノ藤原ニテハ一ヶ月拾五円、大峯拾六円、野村亀治方ニテハ拾八円より廿円位迄、柏屋ニテ拾五円、野上ニテ拾六円ト如此□合ニ有之候、目下金束(策)ニ殆ント困難シ居場合尤前記ノ人ニ比シ取出財産生活等比較スルモ不能、身代ヲ持ツ(チ)居ル事故、前記ノ人々より尤モ少額ヲ以テ最モ苦学的ニスルニ非サレバ到底目的ヲ達スルコト不能、言迄モナク承知シ可有之、克々家政ノ事情推察相成度候、種々ノ事情ヨリ我レモ村長退職スルノ見込ミナリ、在職モ本年中位ニシテ実業ニ従事セントス、実際ニ於テ村長退職シテ実業ニ従事シテ大ニ不利益ニ候得共、上位官署ノ方ハ彦部村ヲ以テ稍ヤ模範ト内事称サレ居候モ如何セン村元ニ野心家ノ在ルアリテ種々ノ仲(中)傷セラルヽアリ種々反対セントスルモノアリ、無利(理)ニモ歯付在職シアルハ却テ他日手取ノ不利益カト被思ルヽ点モ有之、且心アル目アル村治上ニ経験ノアル人ハ親切ニ一時退職スル方可然ト云モノモアリ、反対スル人数ハ以前ヨリ犬吠森ノ境A・T、大巻T親子、野上等ニシテ野上ノ如キ元来政党ノ異ナルヨリ起リラルモノニシテ仲(中)傷スル如キハ決シテ無之候、A・N・N(屋号)、境ノ如キ後釡ニ直リ度野心ヨリ生スル事故彼等ニシテモ見事見込通リ迚モ行クコト出来ザルナラン、彼等如キハ敢テ学文(問)アルニモアラス、信用アルニ非ラス、一、二年ニシテ糜爛スルハ眼前ノコトニ候、且ツ村治ヲ翫(玩)哢(弄)物ノ如ク餌爭ノ風アルハアキルヽノ外ナシ、此場合村治上一切手ヲ引高見々物モ一層面白カラント被思候、
就キニハ心苦敷ハ○○金百五十円計リト外借金ノ利足(息)支弁ト将来学費送ルコトニ候、農作ノ収益ハ僅々ニシテ百円余ノ諸上納金、其他ノ農具料、生活費、食料トシテ余分一切無之候故其最モ困難ヲ極ムルハ学費送金此事ニ候、
大川源兵衛ノ如ク高等学校ハ親戚ノ補助ヲ受、卒業スルモ大學ニ入学致シ兼テ居ルハ実ニ気ノ毒ニ相見得、親類モ彼レノ病身ニシテ将来見込ナキモノトシテ補助ヲ止メタルハ残念ノ事ト外観気ノ毒ニ想ヘ(ヒ)居リタルニ今ヤ此徹(轍)我カ身ニ及ヘリ、ナシ(ス)ヘキヤ夏期帰村ノ際篤ト相談致シ(ス)心組ニ候得共、若シヤ在京中他ニ良束(策)講スルコトモヤト豫メ申逑ヘ置候、帰宅ノ際キクエノ一件容易ニ處決スルコト不出来モノト被思候ニ付休夏(暇)中種々熟考ノ上トシテ帰宅早々外面ニ表セサル様被致度候、
夏期帰宅ノ際衣類等総テ大学ニ入ル場合新調之必用(要)可有之付悉替(皆)持帰ル様ニ可致候、岩手三新聞ニ高等学校以上ニ入学シ在ルモノ徴兵猶豫ニ□モノハ総テ目的ノ学科卒業迄猶豫スルコトヽアリ、果シテ然ルモノトセハ実ニ幸福ノ事ナリ、其邊在京中ニ確ムル様可致候、彦部学校ノ図書館設置ハ今回文部大臣ノ各学校ニ規模小ナルモ設クルコト必用(要)ナリト演説ニセラレタルヨリ郡長、縣廰ニテモ彦部ノ既設シアルヲ賞賛シ昨日町村長會ニ於テモ郡長ハ彦部ハ既設ナルコトヲ以テ各町村長ニ設置セシムヘキコトヲ訓示セリ、
ヲ(オ)ルカン寄付金ハ目下取纏メ中、寄付帳記入高百貮十円ニ達セリ、
彦部学校ニテ夏休ニ英語講習開會スルト云フ事評判ニ相成、佐比内、赤澤、新堀等ノ中学師範生参加センコト希望シ見合セ居ルモノ五、六名モ有之由、実行スルモノトセバ実ニ美挙ニ候、右用事迄、早々
五月廿三日 野村長四郎
野村長一殿
【解説】「前略、長一の東京生活等の事柄は石杜冨蔵殿(長一の母方の叔父)より聞き大体承知した。しかし、他の人々に比べ学費が多いように思われる。何分万事に節約を加へ学費を減額するようにされたい。
長岡の藤原では1カ月15円、屋号大峯(大巻)16円、野村亀治(日詰)方では18円より20円位迄、屋号柏屋(橋本ハナの家、彦部)15円、屋号野上(彦部)では16円という如くである。
目下金策にほとんど毎月困難している。もっとも前記の裕福な人に比べ、わが家は取り出し財産や生活等はとても比較できない。財産を持っている前記の人々よりもっとも少額の学費をもって最も苦学的にするのでなければ到底目的を達することができないことは、言うまでもなく承知するべきである。よくよく家政の事情を推察されたい。
種々の事情よりわれも村長を退職するつもりである。在職も本年なかば位にして、家の農業に従事しよう。実際において村長を退職して農業に従事すれば大いに不利益になる。郡役所や県庁の上位官署の方では、彦部村は模範であると内内称されているが、いかんせん村元に野心家がいて、種々の中傷する者があり、種々反対せんとする者があり、無理にも張りつき在職していてはかえって他日手取りの不利益になるかと思われる点もあるので、かつ心あり、目のある村治上の経験者から親切に、一時退職する方がよいのではないかと言われている。
反対する人は、以前より犬吠森の境A・T、大巻のT親子、野上等である。野上の如きは元来政党の異なるためで決して中傷ではない。大巻の屋号A・N・N、犬吠森の境の如きは村長の後釡に座りたい野心から生ずることである。彼らにしても見事、見込み通り行くとはとてもできないことであろう。彼ら如きはあえて学問があるのでもなく、信用あるのにもあらず、1、2年で糜爛(びらん、乱れる)するのは目の前に見えることである。
かつ村政を玩弄物(がんろうぶつ、もてあそぶ物)のように餌争いの風があるのはあきれるばかりである。この場合村政上の一切から手を引き高見の見物するのも一層面白いだろうと思っている。
ついては心苦しいのは○○金150円ばかりと外の借金の利息の支払い、そして将来学費を送ることが心配である。農業の収益はほんのわずかで100円余の諸上納金(税金等)、その他の農具料、生活費、食料の余分は一切なく、その最も困難を極めるのは学費の送金のことである。
大川源兵衛の如きは高等学校は親戚の補助を受け、卒業したが大学に入学しかねているのは実に気の毒に見える。親類も彼の病身には将来の見込みがないとして補助を止めたのは残念なことと外から見て気の毒に思っていたが、今やこの轍(てつ)がわが身に及んでいる。
為(な)す術を夏期休業で帰村の際とくと相談したいつもりであるが、もしや在京中他に良策講ずることがないものかと思い、あらかじめ申し逑べておく。
帰宅の際、キクエの一件容易に決めることが出来ないものと思われので、夏休み中に種々熟考の上汲めることとして帰宅早々は外面に表さないようにせよ。
夏期休業で帰宅する際には衣類等すべて大学に入る場合新調の必要があろうからことごとく持ち帰るようにせよ。
岩手3新聞に高等学校以上に入学している者の徴兵猶予については、すべて目的の学科卒業まで猶予することとあり、果してそうであれば実に幸福なことである。その辺在京中に確かめるようにせよ。
学校への図書館設置について、今回文部大臣が規模が小さくても各学校に設ける必要があると演説されたことにより、郡長、県庁では彦部小学校は既設していることを賞賛している。昨日町村長会においても郡長が彦部は既設していることを話し、各町村長に設置するように訓示した。
オルガンの寄付金は目下取りまとめ中であるが、寄付帳記入高は120円に達した。
彦部学校で夏休みに英語講習を開催するということが評判になり、佐比内、赤沢、新堀等の中学師範生が参加したいと希望しており、見合わせしている者5、6名もあるという、実行するものとせば実に美挙である。
右用事まで、早々」という内容。
村会議員の自派が少なくなったことにより、中傷する者や村長の座を狙う者が勢いを増しているため、近い将来彦部村長を辞めなければない。農業のみによって生計を立てることになるが、収入の半減によって、借金の元金はもとより利息の支払い、生活費、農事上の費用のやり繰り、取り分け長一の学費を捻出することができないだろう。それがもっとも悩みの種である、と父長四郎が苦衷を述べている。
彦部小学校に、数年前に図書館(図書縦覧所)を設置したこと。オルガンを購入しようとしていること。この夏休みに英語講習会を開催予定で、近隣の村からまで申し込みが多人数があるなど、他の模範と評価されている村政は、父長四郎の指導と才腕によるものであろう。
それは、この地は藩政時代の寛政6年に大巻村民の強い願いで、盛岡城下の芝田塾から芝田甚兵衛将義を招聘し、家塾芝田塾を開いて、天保8年までの43年間、大巻村はもとより、彦部、佐比内、赤沢、新堀など近隣7か村から子弟が詰めかけ、延べ数千人の教育を行った。その後は、高弟野村芝田長徳が後継し、天保9年から明治5年までの35年間教え、明治5年の学制制定まで、実に教育が切れ目なく続いた地域である。
父長四郎は、芝田甚兵衛50回忌に大巻村長としてかかわり顕彰碑や顕彰の掛軸を作成したり、法要を行っている。
(岩手県歌人クラブ副会長兼事務局長)
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