2008年 5月13日 (火) 

       

■  〈続・岩手の先人とカナダ〉24 菊池孝育 原敬14

 明治26年8月3日、外務省は次の機密信を発した。

  「機密送第六三二號/親展/(サンフランシスコ)領事珍田拾己殿/(バンクーバー)領事代理鬼頭悌二朗殿/移民課長原敬/移民地探検費分布ニ付支出概算出(ママ)提出ノ件」であった。訓令の内容は以下の通りである。

  「今般移民地探検費として金五百圓貴館ヘ分布支出ノ義相決候」で始まる。「探検費」は調査費、「分布」は配分と読み替えることができる。続いてこの訓令の趣旨を「貴館管轄地若クハ其附近地方ニ於ケル本邦人ノ移住若クハ出稼ニ關スル事項可成精細ノ調査報告ヲ得候様御取計相成度」と述べ、そのために「適應ノ人ヘ御嘱託」して調査の上、報告すること、嘱託費を含む調査費の「支出概算并ニ嘱託方法至急御提出相成度申進候也」と結んでいる。

  原は「可成精細ノ調査報告」を基に北米大陸への移住計画を練り、移民政策を立案して「移民保護法」を制定しようとした。

  しかしこの訓令を受け取った現地のバンクーバーとサンフランシスコの両領事館は当惑した。原移民課長宛の回答書の作成に当たって以下の点で苦慮したのである。

  カナダ、アメリカ合衆国とも国土は広大である。全土を調査対象とするには膨大な時間と費用を要する。「五百圓」で済むはずがない。「五百圓」は現在の貨幣価値でおおよそ500万円ほどになろうか。

  第2に「適應ノ人ヘ御嘱託」して調査せよ、とあるが、調査に適する有能な日本人は既に職に就いている。現地の地理、気象に明るいカナダ人やアメリカ人に委嘱すれば、極秘裡の調査を求める外務省の「機密」の趣旨が守れない。

  第3、現地には東洋人排斥の機運が高まりつつある。「支那人」は既にターゲットになっていて、人頭税の賦課のみならず土地所有や居住地、就労等の制限を受けている。日本人に対しても「支那人」同様の制限をすべきであるとの主張が起こりつつある。こういう時期に移住及び出稼ぎ適地を調査することは現地で無用な軋轢を引き起こす懸念がある。従って調査には相当の困難が予想される。

  よって調査計画の立案、委嘱者の特定、見積書の作成には相当の時日を要する、早急には回答できない。以上が両領事館の共通の見解であった。

  しかし原移民課長は焦っていた。少々の困難にはめげず、回答を急ぐように、重ねて通達するのである。

  明治26年10月、バンクーバー領事館は「機密信/移民地探検ニ関する件」で回答した。

  「當ブリチシコロムビヤ(ママ)州ハ御承知ノ通土地廣漠人口稀少気候モ格外温和農業叉ハ漁業ニ適スル土地ニシテ荒野ニ属スル場所頗ル多キヲ以テ相當ノ資本ヲ有スル移住者ノ爲ニハ頗ル属(ママ)望ノ地ト被存候」とBC州の概況をほぼ精確に説明して、資力のある移住者には有望な地域であるとの見解を示している。

  概算見積りについては「御分布額五百圓ハ目下ノ相場ニテハ参百弗少餘ニシテ極メテ必迫(ママ)ニ有之今精々切詰計算スルニ左ノ費用ヲ要ス」として四項目の支出見積を挙げている。

  「一米金百弗 探検者二十日間旅行諸費一日五弗ツゝ但船車賃及宿泊料トモ/一同百五拾弗 同上五十日間手當一日三弗宛/一同百弗 地方實業家傭入手當/一同貳拾弗 地圖書類等購入其他雜費/合計米金参百七拾弗」 更に次の付記がある。

  「説明/右ノ内地方實業家傭入費ハ極メテ必要ナリ」としてその理由に、土地の肥痩、水利の便不便、農産物の適不適、災害の有無等地元の専門家の助力がないと知り得ないことを挙げている。そして「旅行諸費ノ手當等最低額ヲ以テ計算シタリ」と断っている。

  「調査スヘキ箇處ハ左ノ如シ/一リチモンド ミュニシパリチー(Richimond Municipality)/一スァーリー ミュニシパリチー(Surrey Municipality)/一チリワック(Chilliwack)/一スーマス(Surmas)/一ラングレー ミュニシパリチー(Langley Municipality)/一アガシズ(Agassiz)/スクァミシ ヴァレー(Squamish Valley)」として7地域を挙げている。原文では各地域ごとに概況を付記しているが、次回以降に詳述するため今回は省略した。さらに

  「可成精細ノ調査」を見込んでいるが、「嘱託スベキ相當ノ人物乏シク(略)止ムヲ得サル場合ニ於テハ小官自身探検調査可致」そうすることによって「費用節減可相成トモ存候/右奉復旁得貴意候也/明治二十六年十月十日/在晩香坡領事館事務代理書記生清水精三郎印/外務大臣官房移民課長原敬殿」

  仮に今、在日の某国領事館が日本政府には断りもなく、自国民の移住目的の為に極秘に北上川流域の調査活動を行ったとしたら、それが明るみに出たとき、政府はもちろんのこと、一般国民や県民はどんな反応を示すであろうか。時は明治中期である。現代と比較して論評することには無理があるかも知れない。

  いずれにしても原は大胆かつ不敵なことを計画したものである。

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