2008年 6月13日 (金) 

       

■  三日月やしろへの道 滝沢村の歴史語る会で漆戸さんが解説

 滝沢村鵜飼の鬼越蒼前神社境内にある月読(三日月)神社についての勉強会が10日、滝沢ふるさと交流館で開かれた。「三日月やしろ」と記された追分石から三日月神社の場所と道のりを解明した盛岡市月が丘の漆戸邦夫さん(73)を講師に、滝沢村の歴史を語る会(主浜恵悦会長)の会員約30人が地元の歴史について理解を深めた。

     
  三日月神社について説明する漆戸邦夫さん(左)  
 
三日月神社について説明する漆戸邦夫さん(左)
 
  漆戸さんは06年秋に同市前九年で「右 やなぎさわ、左 三日月やしろ」と記された追分石があるのを見つけ、「三日月やしろ」という不思議な響きに興味を覚えた。同村の小学校で教べんを執った漆戸さんはやしろの存在こそ知らなかったが、柳沢の地名から村内にあると見当をつけ、調査を始めた。

  法務局の昔の字名が書かれた地図や前九年町内会の記念誌などから、当時の古道を現在の住宅地図と比較検討。その結果、追分石は同市夕顔瀬付近から青山町、滝沢ニュータウンなどを経由して同村鵜飼まで至る三日月道の途中にあったことが判明した。自ずと三日月神社の位置も絞り込まれていった。

  ところが、鵜飼周辺を調査したところ、鬼越蒼前神社境内に月読神社はあるものの三日月神社は見つからなかった。住宅地図をもう一度見直し、同村鵜飼字上鵜飼に石碑の記号を見つけ、三日月神社跡の石碑であることを確認した。石碑には1908年に現在の鬼越蒼前(駒形)神社に移転されたと書かれていた。

  境内の神社には月読神社としか書かれておらず「本当にそうなのか、まだ疑問が残った」という。07年元日、開帳された月読神社の中で三日月神社と書かれた奉納品を多数見つけ、疑問は確信に変わった。月読神社こそが、移転された三日月神社だった。

  その後の調査で、三日月神社は名前の通り、月をご神体にした神社であることが分かった。漆戸さんは「昔は月の満ち欠けを暦代わりにして、農作業を進めた。そこから信仰が始まったのでは」と分析。五穀豊穣(ほうじょう)祈願のほかに、新月を命の誕生と結び付け産土様としての信仰もあったとみている。

  昨年、同市の西部公民館で開いた展示に続き、今回は初めて滝沢村で説明会と展示を行った。漆戸さんは「神社が滝沢にあるので、ぜひ地域の人にも資料を見てもらいたかった。地元の人から聞いて新たな発見もあったし、三日月神社について知らない人が多いことも分かった」と話す。

  会員の杉田剛規さん(67)は「蒼前神社の隣にあったのは知っていたが、もともとあった場所は初めてはっきりと分かった」と興味深そうに耳を傾けていた。自然の地形に沿って作られた昔の道路造り、追分石の道路標識的な役割についても改めて学んだという。

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