2009年 1月 6日 (火) 

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉112 汽車のひびき

 【啄木の短歌】
  何事も思ふことなく
  日一日(ひいちにち)
  汽車のひびきに心まかせぬ

     〔『一握の砂』382〕

  〔現代語訳〕何事も思うこともなく、一日中、汽車の響きに心を任せていたのです。
 
  【賢治の短歌】
  風吹けば
  草の穂なべてなみだちて
  汽車のひゞきの
  なみだぐましき

     〔「歌稿〔B〕」178〕

  〔現代語訳〕風吹いたので、草の穂が全て波立って、(聞こえて来る)汽車の響きまでが涙ぐましいのです。
 
  〔評釈〕「汽車」に関連して、一首の中に「汽車のひびき(ひゞき)」という文言を含む作品を取り上げる。啄木歌は、「忘れがたき人人一」に収められた作品で、伝記的には、「釧路新聞」へ赴任のため、小樽から釧路へと向かう車中感慨に対応することになる。もっとも、あまりに巧みに伝記と対応させているので、その伝記的事実さえ分かれば、それで作品も分かったようになってしまうのが、啄木短歌のコワイところ。例えば、抽出歌では「何事も思ふことなく」となっているが、この車中でいかに啄木がいろいろなことを考えていたかは、この章の作品を通読しても容易に分かるところ。啄木は「その気にさせてしまう」名人なのでもある。賢治作品は、短歌としては、例えば、結句「なみだぐましき」への収斂(しゅうれん)が一般的で物足りないとする論者もあろう。しかし、「注文の多い料理店」などに典型的に見られる「風が吹いての場面転換」は、この一首の中にもくっきりと現れている。

(盛岡大学長)

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