2009年 1月 10日 (土) 

       

■ 〈阿部陽子の里山スケッチ〉97 江釣子森山(えづりこもりやま、379メートル)

     
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  江釣子森山は、豊沢川と鍋割川にはさまれた台形状の里山である。県道37号線では全体像をつかみにくいので、膝立や鍋倉の民家まで離れ、円万寺参道から観音山、さらにその奥へ連なる江釣子森山の全容を見ると良い。江釣子森山が、円万寺・観音山と連なる3点セットだということがよく分かる。

  多田等観(ただとうかん)−花巻でその名を2度、わたしは目撃した。1回目は花巻市博物館入口にかかげられた看板「多田等観展」の前を通過したときだ。

  「あの、等観?」「西本願寺の門主・大谷光瑞の命により、百年前チベットにわたってダライ・ラマ13世のもとで修行した…ラマ僧の?」

  そのときのわたしは、ヘディンや大谷探検隊がこぞってアジア西域に情熱をそそいだ冒険時代を、ほんのちょっぴり連想したにすぎなかった。

  2回目はごく最近。江釣子森山へ登ったときだった。江釣子森山の登山口は円万寺である。寺で初めて等観と花巻の浅からぬ縁を知ってわたしは驚いた。

  チベットから帰るにおよび、貴重な経典や仏像を贈られたという多田等観。宝物の数々を空襲の戦火から守るため、昭和20年に花巻へ疎開。10年間の自炊生活を支えた「一燈庵」はここ円万寺の一角に建っていた。

  そして時は807年にさかのぼり、坂上田村麻呂が持仏の観音を観音堂に祀(まつ)ったとある。観音山は1436年、歴史上に登場する円万寺氏の城であったと伝えられ、現在も土塁などの遺構がある。

  境内には、村社の八坂神社・観音堂・阿弥陀堂・鐘楼・染滝盥水などがあり、それぞれに説明がそえてある。わたしの眼前に、歴史に彩られた江釣子森山がいきなり浮かびあがったのだった。
 
  円万寺へは、県道37号線・堰合に立つコンクリート製の巨大な鳥居が目印だ。バスなら県交通「観音堂前」バス停で下車し、大鳥居をくぐって900メートルで円万寺の駐車場にあがる。途中から垂直につけられた参道を登っても同じだ。

  老木・祖母杉(おばすぎ)の奥の小路(みち)に入り、しばらく観音山を巻くように歩く。送電線の鉄塔よりなおもなだらかな尾根を進み、30分で広場にいたる。ここから路のない急斜面をよじ登り、しゃにむに上をめざすと20分で山頂へ着く。六郎山や鉢屋森・大森山の白い峰々が、樹幹の先にボーッと浮いていた。

  一燈庵に住む等観は1日も欠かさず花巻を眺めたことだろう。北に早池峰山、南に砥森山もある。緑の田畑は目にやさしい。華やぐ黄金の秋。雪におおわれた清廉な平野−−無限の大地は、等観が愛でたマンダラ画そのものであった。

  (版画家、盛岡市在住)

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