2009年 1月 10日 (土) 

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉2 小川達雄 入学宣誓式2

    一.受験準備

  賢治の盛岡高農受験は、中学卒業の翌年、大正四年のことである。興味深いことに、賢治が昭和五年頃に使用した「『文語詩篇』ノート」には、「受験準備」として、

  「青空、リンゴ、農学へ」

  と記されていた。そのノートは、年代順に記した詩歌用のメモと思われるが、賢治は高農受験が許された時、飛び立つばかりにうれしかったのであろう。

  というのは、まず「青空」であるが、賢治は盛岡中学を卒業した後、花巻の家では暗鬱な雲に苦しめられて過ごしていた。岩手病院を退院した後も体調はすぐれず、賢治は蛭を用いて鬱血の治療をしたり、岩壁からの墜落などを思ったりしていた。

  その頃の歌に、雲はこう記されている。
  「うろこぐも」「エナメルの雲」「雨の
  雲」「うす紅く隈どられたるむらくも」
  「蟇の皮」「たゞどんよりといちめんの
  雲」

  「青空」というのは、こうした重苦しさから突き抜けた解放感を語っている。「『文語詩篇』ノート」のメモは、それから十五年ほど後のことになるが、賢治には何年経ってしまおうが、その時の思いはいつまでも忘れられないのであった。

  それから、「青空」と並んだ「リンゴ」であるが、稗貫農学校の生徒、照井謹二郎によれば、賢治は秋の冷たい北上川にリンゴを浮かべ、「きれいだ、きれいだ」と云って、その回りを泳いだという(読売・盛岡支局『啄木 賢治 光太郎』)。

  賢治にとって、その時のリンゴはただただ美しく、ひたすら賛嘆を寄せたくなったものらしい。そうでなければ、もはや晩秋の北上川(気温は十度を下回っていたか)に、にわかに飛び込むなど、とても考えられないことである。

  そのリンゴに関して、賢治は大正十二年の「青森挽歌」で、こううたっていた。

  (〜きしゃは銀河系の玲瓏レンズ 巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)

  樺太まではるばる出掛けた旅のさなか、賢治の心には亡くなった妹トシへの思いがしきりに去来した。賢治の汽車はいまや浄玻璃の中の壮麗な銀河の流れに乗って果てしもなく大きな宇宙の彼方へ走ってゆく。

  ここのところ、『宮沢賢治語彙辞典』は
  「銀河系(成分のほとんどが水素)の形
  状(太い凸レンズ)をりんごの形にオー
  バーラップさせたもの。りんごを宇宙に
  なぞらえる。」と解説する。

  さてこそ、賢治はりんごのイメージを宇宙にまで拡大したのであるが、すると

  「受験準備」「青空、リンゴ、農学へ」

  のメモは、たんに上級学校への進学のみを意味したのではなく、もっと大きな、地球や宇宙の生命と響き合う方向を含んでいた、といえるように思う。次には、賢治の受験の励みとなった友人の入試について、二つの歌を読んでみることにしたい。

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