2009年 1月 14日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉107 伊藤幸子 「牛の角もじ」

 ふたつもじ牛の角もじす
  ぐなもじゆがみもじとぞ
  君はおぼゆる
  延政門院
 
  この歌をはじめて覚えたのはいつのころであったろうか。寒夜、大きないろりの灰に父が火箸で文字を書く。何より「牛の角もじ」が面白かった。わたしは、自分も親になったとき、父がしていたように、よくなぞとき形式で子らに四つの文字の当てっこをさせていた。

  言わずもがな、ふたつもじは「こ」、牛の角は「い」、すぐなもじ「し」、ゆがみもじは「く」であり、幼児たちは鉛筆やクレヨンを力いっぱい握って喜んで書いたものだった。

  正月、今やアラフォーの仲間入りの長女と電話で話した。「丑(うし)年だねえ、牛の角文字に、いつもあなたのこと、思ってるよ」と言うと、「ウン?ナニ、牛の角がどうしたって?」と笑っている。そして、こんなことを言い出した。「こいしく」は古文だから「こひしく」ではないか。「ひ」の方が牛の角と顔のイメージが合ってるんじゃないの、と言う。ウーン、正月早々わたしの冬眠細胞は大慌てで活動開始。

  出典は「徒然草」だ。だいたい日常でいちいち出典だの解釈の細部にこだわったりはしない。この歌も、何十年も記憶のままに、ことにも丑年には好んで話題にしてきたものである。今回娘の指摘に改めて、岩波の日本古典文学大系の「徒然草」をひもといてみた。

  「延政門院いときなくおはしましける時、院へ参る人に御言づてとて申させ給ひける御歌」としてこの歌を挙げ、「こひしく思ひまゐらせ給ふとなり」と、第六十二段たった五行の章である。延政門院は、鎌倉中期の後嵯峨天皇の皇女。天皇の御所に参上の人に幼い皇女が父上を「こいしく」お慕い申し上げる歌と明記されている。いとけない皇女のご着想だから、牛の角もじは「い」でいいと納得する。

  父は明治34年の丑年生まれで1901年、昭和天皇と同年というのが口ぐせだった。どんな人にも青春はある。わたしも昔見たことのある古い書物の中で、父はこの歌を自らの丑にたぐえて記憶したのであろうか。父の没年を越えた今、ぼおっと明るいいろりの灰の父の文字がひときわ「こいしく」思い出される。

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