2009年 1月 18日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉5 小川達雄 入学宣誓式5

     三、続・教浄寺

  宮沢賢治を理解するポイントの一つは、そのイメージの〔変化〕を、すんなり、そのまま受け取ることにあると思う。

  賢治のリンゴは銀河宇宙にまで拡大したが、友人の受験を羨んだ時の歌をもう一度あげると、
 
   またひとり
   はやしに来て鳩のなきまねし
   かなしきちさき
   百合の根を掘る      一四六

  −(受験の友だちと離れて)ひとり自分
  は鳩の鳴きまねをして、かなしいほど小
  さな百合の根を掘る。滋養のためとはい
  え、食べられてしまう球根を見ると切な
  く、それは自分の分身のようにさえ思わ
   れてくる−−

  つまりこの「百合の根」は、球根そのものといまの自分の姿と、二つのイメージの間に揺れているが、さらにこの根は、夏の華麗な花のイメージにも続いていた。

  賢治のイメージの〔変化〕には、こうした例があげられるが、さてその賢治自身に関して、目をみはるばかりの〔変化〕をもたらしたのは、高農受験前の、教浄寺での生活である。

  教浄寺は、賢治にとって大いなる坩堝の役を果たしたといえようが、その〔変化〕の舞台は、文語詩「僧の妻面膨れたる」(先駆形)に、こう歌われていた。

   雪やみて朝日は青く、
   驢の三四門にとゞまり
   松をもてうちかこまれし
   鐘台はひかりあまねし(第一連)

  先頭の一行は、他の行が全部改められてしまったのに、これだけが最終形と同じであった。目に映るのは、清浄な雪と青い朝日。これは、教浄寺を代表する舞台なのであろう。

  賢治が初めて教浄寺にやって来たのは、激しい雪が止んだばかりの午後のことであった。山門までの長い雪道の両側には雪を被った小松が続いて、天地はただもう真っ白な、いちめんの積雪の中からの出現だったのである。

  その清浄な舞台では、朝な夕な、赤い法衣の住職がおごそかに鉦を鳴らし、庭の松の木々は積もった雪に枝を垂れて、ひとしく勤行の響きに聞き入っていた。それは、ほかならぬ浄土のすがたである。

  賢治はおそらく教浄寺の日々のお勤めを、親しく迎える気持ちであったに相違ない。それでなければ、教浄寺に下宿することもできなかったし、また、こうした文語詩を残すこともなかったはずである。

  降り積んだまっさらな雪と、身の引き締まる朝夕の勤行。住職と夫人のおだやかな挙措。こうした教浄寺のよき境遇に恵まれて、賢治はひたむきな集中勉強へ、大いなる〔変化〕を果たすことができたと思う。

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