2009年 1月 21日 (水)

       

■  全国初、「字」が書かれた平安期木簡 奥州市道上遺跡から出土

【左】奥州市前沢区の道上遺跡から出土した木簡、【右】木簡に書かれた文字(県文化振興事業団埋蔵文化財センター提供)【左】奥州市前沢区の道上遺跡から出土した木簡、【右】木簡に書かれた文字(県文化振興事業団埋蔵文化財センター提供)
【左】奥州市前沢区の道上遺跡から出土した木簡、【右】木簡に書かれた文字(県文化振興事業団埋蔵文化財センター提供)
  奥州市前沢区の道上(どうのうえ)遺跡から、地名に記す「字(あざ)」が書かれた平安時代の木簡が全国で初めて出土した。江戸時代の木簡で「字」が記されたものはあるが、それより古い時代のものは見つかっていなかった。また、紙に記されたものはあるが、それを含めても「字」の記述は全国で5番以内に入る古さ。今回の出土は、字を使った地名表記が当時から東北地方でも使用されていたことを示す貴重な資料となりそうだ。

 県文化振興事業団埋蔵文化財センターが20日、記者会見し公表した。木簡は長さ約46センチ、太さ約4センチの棒状。記された文字は「禁制…」で始まり、何らかの規制を行うための「禁制」木簡だという。禁制木簡は非常に珍しく、全国でこれまでに見つかっているのは袴狭遺跡(兵庫県)から出土した2点のみ。

  判読できた文字から木簡には三段(約30アール)の田んぼに関する禁止事項が書かれているという。「字」という文字は6行書かれた中の1行目に「字垂楊池」と田の所在地を表す形で出てくる。垂楊池という地名は現在の奥州市にはなく、古い資料などでもその記述は確認できていない。

  文書では公子廣守丸(きみこのひろもりまろ)という人物が水田を京都の貴族に寄進したが、その水田を他人が使用して利益を得ることを禁じている。当時は長期間にわたって放置された水田は勝手に耕作して問題がなく、休耕田を他人に使われないように記したものとみられる。

  字の記述は古い寺院や貴族が持っていた紙の文書として近畿や北九州などから見つかっている。書かれている内容は、その地方のことを記したもので東北地方にはこれまでまったく資料が残っていなかった。

  今回出土した木簡に書かれている「公子」という名は、胆沢城跡から出土した同時期の木簡に記されている「吉弥候豊本(きみこのとよもと)」という鎮守府下級官人の名と同じ蝦夷(えみし)に特徴的な氏名である。また、杭(くい)に転用されていることなどから、遠くから持ち込まれたものではなく少なくとも出土した土地やその周辺で使用されていたと考えられている。

  調査に携わった奥州市総合政策部の石崎高臣文化財専門員は「ともすれば東北は遅れていて、先進地域で字というものが始まり、時代が遅れて地名の表記の仕方がされていたと考えられがちだが、同時代の資料が東北地方で出土したことに意義がある」と話している。

  木簡は07年4月から8月までの第3次調査で出土し、釈読作業と保存処理作業が終了し、このほど公開が可能となった。出土時は平安時代中期に構築された杭列の構成材として転用された形で発見。現場は当時かなりの湿地帯で、保存状態が良かったために文字が判読できる形で残っていたとみられる。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします