2009年 1月 22日 (木)

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉118 望月善次 橋にも個性

 【啄木の短歌】
  朝に夕にゑにしよ淡き川の風逢ふては
  橋の袂にわかる。

  〔『秋〓笛語』明治三十五年十一月四日〕

  〔現代語訳〕朝にも夕べにも、縁が深くない川の風は、逢(あ)っては橋の袂(たもと)のところで別れるのです。
 
  【賢治の短歌】
  黒雲の
  北上川の橋の上に
  劫初の風ぞわがころも吹く。

  〔「歌稿〔B〕」734〕「大正八年八月より」

  〔現代語訳〕黒雲に覆われている、北上川の橋の上で、この世の始めである「劫初」の風が私の衣服を吹くのです。
 
  〔評釈〕啄木歌は、盛岡中学校の最終学年を退学し、文学を志して上京した際の日記である『秋音出笛語』からのもの。この日記は十月三十日に始まり、上京は十一月一日であったから、作歌の十一月四日は上京直後に相当する。野村菫舟(胡堂)から「君は才に走りて真率の風を欠くと。又曰く着実の修養を要すと」と言われたのも此の日。抽出歌は何でもない一首だが、不安にうち震える話者の心根は、次に置かれた「佇みてふと大川にまどひたり舟は秋野の風のせて行く。」からも明らか。賢治歌は「大正八年八月より」中の「北上川第四夜」の二首めの作品。黒い雲の下の北上川を歌ったもので前後の作品も「黒き雲」(723歌)、「黒雲の」(725)と始まっている。「劫初の風」の「劫」は、世界の成立から破滅までを示す仏教的大期〔「成劫・住劫・壊劫・空劫」の「四劫」〕で、「劫初の風」には、賢治の深い思い入れあるのだが、作品として効いているかは別の問題。

  (盛岡大学長)

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